投稿日:2024/04/05
はじめまして。THEATRE for ALL 編集部の武者です。聴覚と触覚に興味があり、普段は音環境や音サインを中心にサウンドスケープデザイナーおよびユニバーサルデザインに関わるアドバイザーとして活動を行っています。視覚障害を中心に多数の障害があり、今回サニーバンク会員として「100の回路」のインタビュー取材に参加しました。私自身が心身にいろいろな制限がありますので、「THEATRE for ALL」の活動全体にとても期待しています。
「100の回路」シリーズとは?
回路という言葉は「アクセシビリティ」のメタファとして用いています。劇場へのアクセシビリティを増やしたい我々の活動とは、劇場(上演の場、作品、そこに巻き起こる様々なこと)を球体に見立てたとして、その球体に繋がる道があらゆる方向から伸びているような状態。いろんな人が劇場にアクセスしてこれるような道、回路を増やしていく活動であると言えます。様々な身体感覚・環境・価値観、立場の方へのインタビューから、人と劇場をつなぐヒントとなるような視点を、“まずは100個”収集することを目指してお届けしていきたいと思っています。
今回お話をうかがう木ノ戸さんはNPOスウィングの代表で、とてもユニークな創造的な活動をされています。このような活動にどうやってたどり着いたのか、スウィングにとってアートはどのような位置づけなのかをお聞きできればと思います。
木ノ戸昌幸(きのと・まさゆき)
1977年生まれ・愛媛県出身。株式会社NPO代表取締役、元NPO法人スウィング理事長、フリーペーパー『Swinging』編集長、まち美化戦隊ゴミコロレンジャー。引きこもり支援NPO、演劇、遺跡発掘、福祉施設勤務等の活動・職を経て、2006年、京都・上賀茂に福祉施設<スウィング>を設立。仕事を「人や社会に働きかけること」と定義し、様々な実践を企画、プロデュースしている。黄色が好き。でも青も好き。ちなみにホントは赤も好き。単著に『まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験』(2019/朝日出版社)。
スウィング
2006年、京都・上賀茂の地に産声をあげた、障害のある人ない人およそ30名が働く福祉施設。絵や詩やコラージュの芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、全身ブルーの戦隊ヒーローに扮して行う清掃活動「ゴミコロリ」、ヘンタイ的な記憶力を駆使した京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」などなど。「べき」やら「ねば」やら既存の仕事観・芸術観に疑問符を投げかけながら、世の中が今よりほんのちょっとでも柔らかく、楽しくなればいいな! と願い、多様な創造的実践を繰り広げている。
※取材した2021年の時点では、福祉施設スウィングの運営母体の法人名は「NPO法人スウィング」でしたが、2024年4月現在、運営母体の法人名は「株式会社NPO」に変更されています。
しんどかった学校生活
木ノ戸さんがどのような過程で福祉に関わることになったのかを知りたいと思い、子ども時代、どのように生活されてきたかをお尋ねしました。すると、予想もしなかった答えが返ってきました。
「学校にちゃんと行ってしまった、という感じです。学校に行けない状況は10歳ころからあったのですが、社会の縮図としての、学校が求める子ども像・生徒像に合わせるのが運の悪いことに得意でした。器用に合わせて行ってしまって、物心つくタイミングで人が気にしていないようなことが不安になるようになり、学級委員に選ばれなかったらどうしようとか、先生にさされて間違った答えを言ったらどうしようとか、自分が築いてきたものを失ったり損ねたりすることが怖くなって、そこから学校に行くことが怖くなりました。」
当時は自分におきた学校が怖いという不安感の理由も説明できず、しかも今のような学校に行かずにフリースクールに通うなどの選択肢もほとんどなかったそうです。13歳から15歳ころが一番辛く、13歳くらいのときに勇気を振り絞って、いのちの電話に連絡したことがあるそうです。
「自分の状況を当時の言葉で一所懸命伝えたんですけど、相談員の方が『実は私の息子もね……』と言い出して、急に相談員の息子さんの話をし出して、私が慰めて終わりました。」
15歳のころには自殺願望が出るほど自分を追い詰めてしまい、学校に行く時間になると部屋で膝をかかえて震えるようになってしまったそうです。それでも、学校内での人間関係は、表向きは一目置かれる存在だったそうです。
そんな内心では辛かった生活が、大学入学とともに変化していったようです。出身地の愛媛県を離れて京都に引っ越し、自分のことを知らない人たちの中で、素の自分で新しく人間関係をつくれたこと、今まで学校と家庭の往復だった生活から解放されたことが大きかったそうです。大学に行くにあたって木ノ戸さんは、今まで辛かったので大学には休みに行きますと両親や近しい人たちに宣言したそうです。
回路91
社会が求めるもの(プレッシャー)は、人を縛りつける鎖になる
プロデューサーという自分の道
木ノ戸さんにとって辛かった学校生活の中でも、絵を描くことと本を読むことと劇をつくることの3つは楽しかったそうです。特に学校のお祭りで上演するような劇では、小学校低学年のころから台本書きやキャスティングをやっていたそうです。
「たとえば勉強ができないとか運動ができないとか、そうした意味で学校内の地位が低い人でも、劇を演じることにおいてはそれがなくなるというか、これを言うと自分が偉そうですが、当時から普段の学校生活では目立たない人とか友達をキャスティングしたり主役にしたりして、一瞬スターになるような風景を見るのが好きでした。」
就職活動を始める大学3年生のとき、木ノ戸さんは就職という世間のレールを外れて演劇という逆方向に向かって走り出したそうです。京都で1994年から続いている「演劇ビギナーズユニット」に参加したのをきっかけに、役者・脚本・演出・音響などで、細々と活動したそうです。
ビギナーズユニットは主に役者を体験しながら全員で1つの公演をつくり上げる活動だったそうですが、木ノ戸さんには周りの人が口にする「スポットライトがクセになる」感覚があまりわからなかったそうです。7割くらいのプロデュースが性に合っている感覚で、それが今のスウィングのさまざまな活動に繋がっているそうです。
回路92
好きなことに、嘘をつくな
社会への違和感と自分の価値観
「演劇を始めたのと同時期に、大阪高槻市で引きこもり支援のNPOの立ち上げに関わったんです。ちょっと前、20歳のころだったか、僕は不登校ではなかったんだけれども不登校状態だったので、バイト先の休憩中に読んでいた新聞に『大学生の不登校を考えるシンポジウム』という小さな文字を見つけて飛びついたんです。
スピーカーは引きこもり支援のパイオニアである二神能基(ふたがみのうき)さんでした。二神さんは不登校の若者に対して言ってはいけない言葉があり、それは「自立しなさい」「目標を持ちなさい」「人に迷惑をかけるな」の3つだと。えらい衝撃を受けました。僕は学校や社会が象徴する価値観に縛られて辛かったわけですけれども、それがすなわちこの3語だったのです。
二神さんは自立しなくてもいいし、迷惑をかけるのは当たり前だし、目標なんか持たなくとも生きていけると真逆のことを言われて、目からどころか脳みそからうろこが落ちるくらい本当に楽になりました。それがなければ、就職活動のときに逆方向にダッシュしていくことも、たぶんできなかったと思うんです。二神さんのシンポジウムに参加できたことは、ものすごく大きなことでした。」
木ノ戸さんは引きこもり支援のNPO立ち上げと運営に関わりますが、そのNPOでも引きこもりの人たちを社会のレールに戻そうとする圧を強く感じました。立ち直らせて就職させることが良いとする考え方は違うという信念があった木ノ戸さんは、周囲からみると役に立たない山登りやソフトボール大会などを引きこもりの人たちとやっていたそうです。
25歳で身を固めるという指針をもっていた木ノ戸さん。その期限が近づいてくる中、出会ったとある人から「障害のある人に関わる仕事に就いたら毎日笑える」と聞かされて京都のとある福祉施設に就職します。するとそこは一線を外れた障害者がマジョリティーで、確かに笑えて、それが自分の新たな価値観だと思えたそうです。
「障害のある人の姿って、だんだん生きていく過程でなくなっていくんです。小学校のころに当たり前にいた(障害のある)同級生たちが、中学校に入ったら急にいなくなり、高校・大学と成長していくにつれて余計にいなくなっちゃうんです。だから、そこに就職してギューッと障害者ばかりがいてびっくりして、ああ、ここにいたのかという感じ。」
しかし、その施設でも職員は非常に管理的で支配的で、障害のある人たちに「まとも」を強いたそうで、木ノ戸さんはすぐに違和感を感じてしまいます。
就職して半年経ったころ、木ノ戸さんはいずれ自分で場所をつくると決め、職場でも我慢することをやめたそうです。その1つがダンボールを敷いた上での昼寝で、昼寝の習慣はスウィングでも続いているらしいです。
施設の運営を健全化して職場を少しでも居心地の良い場所にする努力をやりきったと感じた木ノ戸さんは、2006年に、ついにスウィングを立ち上げます。
前の福祉施設からついてきてくれた仲間たちと、前の施設のほぼ唯一の仕事で、自分たちがその達人と言える、箱折りの仕事を作業所で始め、他の企画も含めて考えながら進んでいきます。
http://garden.swing-npo.com/?eid=1400638
回路93
自分に我慢しない場があるか?
仕事をプロデュースする面白さ
「芸術的なことを芸術的に見せるのはすごい簡単なんですよ、当たり前なんですけど。でも、一見単純作業に見えることとか、一見ジミでつまらないことをプロデュースしたり、そこにある魅力を伝えるのって、すごく難しいので、そこをずっとこだわってやってきましたね。
2008年から続ける清掃活動『ゴミコロリ』も、ただのゴミ拾いをプロデュースしていく面白さがあるなと思ってたんですけど、もう1つ、仕事イコール必ずしも対価労働ではないんだということを証明したく思い、始めたことですね。」
スウィングのホームページには、「おもしろいこと」「役に立つこと」「したり」「しなかったり」の頭文字をとった「OYSS!」(オイッス!)という言葉が書かれています。
懐かしいテレビ番組『8時だよ!全員集合』の挨拶が由来で、お金をもらう労働だけが仕事ではなく、人に役立つことも仕事だということを意味しているそうです。
「そうすると、仕事という概念というか枠組みが一気に広がる、つまりなんでも仕事と言えちゃうんですよね。なんでも仕事と言える環境がすごく大事。スウィングはNPOだとかアート団体だとか福祉施設であるとか言われるんですけど、仕事をする場所というのが内部的な共通認識なんですね。ただ、その仕事の幅がすごく広く、絵を描くことも仕事ですし、なにもせずそこにいることも仕事。」
回路94
仕事とは人や社会に働きかけること
仕事観を広めるギリギリアウト
だからといって、お金を得ることや資本主義を否定するわけではないそうです。資本主義の中で生きてその恩恵にあずかったり、加担している以上、その否定は自己矛盾になってしまいます。しかし、お金を得ることだけや、その逆にだけ固執するのも良くないと考えているそうです。
そこで、スウィングのホームページにある「ギリギリアウトを狙う」についてもきいてみると、お金を労働対価としてもらう狭い仕事観を広げるために、スウィングにとって重要なテーマだということが分かりました。
ストライクゾーンの狭い仕事観や社会の価値観を改めて考えてもらうには、従来の許容範囲内でもなく、そこから大幅に外しすぎるのでもなく、ちょっと変と感じるくらいのギリギリアウトを狙うバランス感覚が大切だそうです。
ただ、ギリギリアウトはあくまで主観で、その見極めはすごく難しいことも話していただきました。今のスウィングはなんでも通ってしまう雰囲気があるそうで、木ノ戸さんもやり過ぎではと指摘された提案があったそうです。
「たとえば障害のある人に対する偏見であるとか、差別的な扱いとか目線とか、そうした良からぬものに立ち会う瞬間というのが、やはりかつてはあったんですよね。でも近年は、少なくともスウィングの周辺ではないんです。ほぼない。だから、ある意味では世の中変わったんだと思います。そうした日常が自分たちにとっての当たり前になってきているので勘違いを起こしそうになるんですが、自分たちが見ている景色が世の中全体ではけっしてないので、そこは気をつけなきゃあかんなと思います。」
人気者、みなに知られた存在になったスウィングだからこそ、立ち位置や舵取りの難しさが見えてきます。私たちがいろいろなメディアで見聞きする障害者作業所やそのとり組みは一部分で、地域に受け入れてもらえないなど従来の課題をかかえている場所も多いことを忘れてはならないと改めて感じます。
健常者がスタンダードに持っているお金を第一に考える価値観に近づけるような運営がまだまだ多い、と木ノ戸さんは言います。
お金にならないことに意味があると思って続けている清掃活動「ゴミコロリ」も、当初はこんなことに意味があるのかという真っ当な批判があり、実践まで2年間かかったそうです。今でもゴミ拾いに参加するかは自由意志だそうですが、最初は遠目に見ていた人が今は中心的人物に変わった例もあるそうです。
回路95
自分がみている世界がすべてではない
自由な文化のメンテナンス
最後に、木ノ戸さんがスウィングで今後やってみたいと思っていることや課題についてききました。
「スウィングには自由という文化があると思いますが、それは放っておいて維持できるものではないですし、常にメンテナンスをし続けなければいけないと思っているので、やることには事欠かないですね。つまり、スウィングはすごく自由だけれども、その分、良くない方向に暴走していくこともあるし、そのたびに微調整や話し合いが必要です。ひずみじゃないけど、やっぱりバグが出るんです。バグが。自由ゆえのバグがあるんですよね。」
自由は一見いいもののように感じますし、私たちはすぐに「自由」を求めます。しかし、集団はルールや規範で管理したほうが楽ですし、ただ自由にすると場を保つこと自体が難しくなります。
自由だからこそ軌道修正や変わり続けるメンテナンスが必要で、その意味でやることに事欠くことがないと木ノ戸さんはおっしゃっていました。ルールができている既存の組織でずっと辛さを感じた木ノ戸さんだからこそ、スウィングの自由な文化を継承しようとしているように強く感じました。
「最近、ここなんですか、と通りすがりの人に尋ねられたとき、説明できない人をときどき見かけるんですよ。説明できないのはスタッフだったり利用者だったりするんですけど、スウィングは説明できないことをずっとしてきたので、それが正解なんです。
つまり、説明できないというのは、スウィングを理解しているってことですよね。即答できないことをやってきた、だから即答できない。そうじゃなければ、即答でNPOですとか福祉施設ですとかアトリエですとか言っちゃったと思うんですけど。」
回路96
自由にはメンテナンスが必要
おわりに
私は小学校までは公立学校で、中学校から盲学校に通いましたので、木ノ戸さんの言葉を借りれば「だんだん生きていく過程でいなくなっていく」障害者の側でした。また、私は小・中学校でいじめられっ子で、それを乗り切って今があります。状況も解決方法も違いますが、苦しさを抱えた学校生活の先に今がある木ノ戸さんの経歴に興味を惹かれました。
インタビューを終えた私の中には、自由とはなんだろう?管理とは?さらに平等とは?公正とは?と社会に対する問いかけが湧き上がりました。
「管理されたほうが楽だ」とか「長いものには巻かれろ」という言葉もありますが、一方で「今の日本社会は自由だ」とも言われます。
近年、「生きづらい世の中」という言葉をよく聞くようになった気がしますし、生きづらさを口にする人が増えたようにも感じます。もしかすると、最近よく聞かれる「生きづらさ」という言葉は、木ノ戸さんが感じてきた「管理」の圧が社会の中に知らないうちに蔓延しているからなのではないかと思われてきました。
1時間半のインタビューでしたが、ここには書き切れないほど濃密なお話でした。木ノ戸さんはご著書を出されていますので、是非ともこの記事と合わせてお読みいただければ嬉しいです。
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執筆者
武者圭(むしゃ・けい)
昭和40年、東京都生まれ、東京都育ち。大学生のときから視覚障害者としてサウンドスケープを研究し、まちなかの音環境への提案、公共施設の誘導サイン音のデザインなどを行っている。また、軽度呼吸不全や骨生育不全など複数の重複障害をもつ経験から、幅広い観点でバリアフリーやユニバーサルデザインについての提案や助言・講演や執筆を行っている。
https://mushalabo.com/
協力
サニーバンク
サニーバンクは、株式会社メジャメンツが運営する障害者専門のクラウドソーシング サービスです。「できない事(Shade Side)で制限されてしまう仕事より、できる事(Sunny Side)を仕事にしよう。」をテーマに、障害者ができる仕事、障害者だからこそできる仕事を発注して頂き、その仕事を遂行できるサニーバンク会員である障害者が受注するシステムです。
障害者が働く上で「勤務地の問題」「勤務時間の問題」「体調の問題」「その他多くの問題」がありますが、現在の日本では環境が整っているとはいえない状況です。障害があるために働きたいけど働くことが困難、という方に対して、サニーバンクでは「在宅ワーク」という形で無理なくできる仕事を提供しています。
※本記事は、2021年12月1日に取材執筆を行いました。記載されている情報は執筆時点のものとなります。