投稿日:2023/12/01
THEATRE for ALL LAB編集部の土門蘭です。
今回の「100の回路シリーズ」でご紹介するのは、0歳から大人までのアートエデュケーション、ワークショップデザインを専門とされている、臼井隆志さんです。
「100の回路」シリーズとは?
回路という言葉は「アクセシビリティ」のメタファとして用いています。劇場へのアクセシビリティを増やしたい我々の活動とは、劇場(上演の場、作品、そこに巻き起こる様々なこと)を球体に見立てたとして、その球体に繋がる道があらゆる方向から伸びているような状態。いろんな人が劇場にアクセスしてこれるような道、回路を増やしていく活動であると言えます。様々な身体感覚・環境・価値観、立場の方へのインタビューから、人と劇場をつなぐヒントとなるような視点を、“まずは100個”収集することを目指してお届けしていきたいと思っています。
臼井隆志(うすい・たかし)
1987年東京都生まれ。2011年慶應義塾大学総合政策学部卒業。株式会社MIMIGURI在籍。ワークショップデザインの手法を用い、乳幼児から中高生、ビジネスパーソンを対象とした創造性教育の場に携わっている。児童館をアーティストの「工房」として活用するプログラム「アーティスト・イン・児童館」(2008~2015)、ワークショップを通して服を作るファッションブランド「FORM ON WORDS」(2011~2015)、伊勢丹新宿店の親子教室「ここちの森」(2016~)の企画・運営を担当。noteでは、発達心理学や認知科学をベースとした「赤ちゃんの探索」、アートワークショップの設計について考察する「アートの探索」を連載中。著書に『意外と知らない赤ちゃんのきもち』(スマート新書)がある。
「アート」は、“見えない皮膜”を破ってリアリティを突きつける
「アート」や「教育」をテーマに、ワークショップデザインを行っている臼井さん。
普段は子供を中心とした探求型学習のワークショップや、アートをテーマにしたワークショップの設計・運営を専門的に行っています。
そんな臼井さんが、そもそも「アート」と「教育」というテーマにたどり着いたきっかけとは何だったのでしょうか?
「高校生の頃、まわりの子たちと進学や就職の話をするうちに、違和感を覚えるようになったんです。どうもみんな、自分が本当にしたいことじゃなく、ステータスになることを選んでいるような気がする。自分で選んでいるのではなく、誰かに選ばされているんじゃないかな?と。社会を暗黙裡に動かしている力があるように感じました」
そのときの感覚を、臼井さんは「まるで“見えない皮膜”を被っている感じ」だったと表現します。“見えない皮膜”とは、「誰か」や「社会」によって植えつけられた固定観念や常識のようなもの。そんなとき、突破口として見出したのが「アート」でした。
「その“見えない皮膜”を破り、ある種のリアリティを突きつけてくるのがアートだと感じていたんです。もしも、子供のころからそういった常識にとらわれない視点に触れられていたら、10年、20年経ったときにおもしろい大人がたくさん生まれるんじゃないか。そんなことを考えたのが、はじまりでした」
回路25
アートは、私たちが無意識に身につけた固定観念や常識を突き破るもの。
「答え」は用意するのではなく、その場で作っていくもの
その体験をきっかけに、「アート」と「教育」にまつわるワークショップを設計・運営するようになった臼井さん。そんな臼井さんが考える、ファシリテーターの役割とは何なのでしょうか?
「ファシリテーターの役割を辞書的に言えば、『促進する』『容易にする』ことです。たとえば、アート写真を撮ろうとしても、すぐに撮れるものではありませんよね。そもそもアート写真とは何なのか、過去にどんなアーティストがいたのか、アーティストは撮影時どんなことを意識しているのか……そんなエクササイズをするうちに、その人なりのアート写真が撮れるようになる。そんなふうに、だんだんできるようにプロセスを容易にして促進させる役割がまずあります」
ただ、臼井さんが考える「ファシリテーター」の役割とは、それだけではないと言います。
「よく批判されるのが、『ファシリテーターは自分の意見を言わないよね』ということです。客観的な立場なので、自分の考えをその場に出さない存在として捉えられることがあるんですね。
もちろん、そういう役割でいることが必要なときもあるんですが、僕は、ファシリテーターも悩んだり葛藤していいと思うんですよ。『自分自身はアート写真の熟達者ではない。自分自身もアート写真がいかなるものか明確に定義できていない。だからこそみんなと一緒に議論しながらその定義をつくっていきたい』というような思いを持っていても良いのではないかなと。参加者の悩みに寄り添うだけではなく、自分自身も一緒に試行錯誤する。そんな立場であることが、ファシリテーターとしては誠実なんじゃないかなと思っているんです」
その話を聞いて、私の中のファシリテーターのイメージががらりと変わりました。
それまでは、最初に臼井さんがおっしゃったように、ワークショップを「促進する」「容易にする」のが役割だと思っていました。つまり、「問い」に対する「答え」を知っている人だと。その答えに向かう道筋を、促進したり容易にするのがファシリテーターだと思っていたのです。
でも、臼井さんは「『答え』は用意するのではなく、その場で作っていくもの」だと言います。
「ファシリテーターから知識を渡すのではなく、問いをめぐってみんなで新しく知識を作っていく。それが、ワークショップにおけるひとりひとりの役割なんです。ファシリテーターはそれをサポートしつつ、自分もそこに参加するのだということを忘れてはいけないと思います」
回路26
ワークショップにおいて、「答え」は用意するのではなく、その場で作っていくもの。
固定化された関係性が解体されて、新しく構築されていく瞬間
臼井さんは現在、THEATRE for ALLにおけるラーニングプログラムの監修にも携わっています。
「アート」という領域ではこれまでの活動と共通していますが、「アクセシビリティ」という領域では新たな挑戦となった臼井さん。その経験の中で、たくさんの発見があったのだと言います。
「まず、自分の感覚と相手の感覚はきっと同じである、という規範が自分の中にあったのだと気づきました」
たとえば、オンラインメディアの操作性。マウスやキーボードを使って、マイクに声を出して、イヤホンから声が聞こえる……そんな前提のもと進めてきていたけれど、世の中には見えない人も聞こえない人もいるし、オンライン上で他者とコミュニケーションをしているという実感が得られない人もいる。これまでに、そんな知覚的な構造の排除が起きていたのだということに、改めて気づいたのだそうです。
「これまで僕の生きている世界は、健常者中心でした。今後は『そこに障害がある人も参加しやすくしよう』ではなく、その規範自体を揺るがし反転させていくことが課題です。規範を解体することは痛みも伴うけれど、そこに大きな可能性を感じるんですよね」
そんな臼井さんが、実際にTHEATRE for ALLで携わったラーニングプログラムのひとつに、『チェルフィッチュといっしょに半透明になってみよう』という子供から大人向けのワークショップがあります。
このワークショップは、「モノ」と「人間」の関係性を演劇によって再発見してみようというもの。通常、「モノ」は「人間」に従う立場にありますが、逆に「人間」が「モノ」をサポートする立場になる(半透明になる)としたらどんなことができるだろう? そんなチェルフィッチュの俳優・米川幸リオンさんの問いかけから始まりました。
2019年夏にはリアルの場で行われた本ワークショップですが、今回はオンラインでの開催。臼井さんはチェルフィッチュとともに進行プロセスを作ったり、いち参加者として運営サポートを行ったそうです。
「おもしろかったのは、子供たちがすぐにモードに入ったことです。例えば、彼らはコップをコップと見なさないで、コップが持つ別の機能性をいじくりながら別の『モノ』に見立てることができる。チェルフィッチュがやろうとしていることと、本質的に響き合っているのが表れていました。
また、俳優が演じながら『こんな感じではどう? モノになれているかな?』と聞くと、『顔を隠したらもっとモノっぽくなれるんじゃない?』と子供が言い出すシーンもありました。すると俳優が動きを変えて、それに子供も触発される。相互に演出しあう関係性ができあがっていったんです」
俳優だけではなく、子供も一緒にその場をリードしていく。それに大人が引っ張られる。その様子はまるで、「フラットにみんなが遊ぶ空間」のようだったと臼井さんは回想します。
「『大人と子供』という固定化された関係性が解体されて、新しく構築されていくようでした。そんなことが起こせるのはアートの力だなと、改めて思いましたね」
そのワークショップの話を聞いて、臼井さんの原体験の話を思い出しました。
「“見えない皮膜”を破り、ある種のリアリティを突きつけてくるのが、アートだと感じていた」
常識や固定観念といった“見えない皮膜”を、まずはアーティストが脱ぎ始める。それにつられて、子供たちが脱ぎ始める。そして、徐々に大人たちも脱ぎ出していく。まさに臼井さんが高校時代に抱いた違和感、そしてアートの役割を、このワークショップは体現していたのでしょう。
回路27
アートは、固定化された関係性を解体し、新しく構築する力を持っている
三角形の中心に「問い」を置き、みんなで知識を差し出し合う
チェルフィッチュのワークショップで解体された「大人と子供」という関係性。これは、「健常者と障害者」の関係性でも可能なのでしょうか。
そう尋ねると、臼井さんは「可能だと思います」と答えてくれました。
「たとえば、林健太さんが行っている『視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ』も、関係性の解体ですよね。目が見える人が見えない人に『この絵はこうなっていますよ』と教えてあげるのではなく、見えない人から『この部分はどうなっているんですか?』と思いもよらない問いかけを受ける。つまり、考えたことがなかったことを考えなくてはいけなくなる。そこに、関係性の解体を起こす力があるように思います」
臼井さんは、「大人と子供」「健常者と障害者」というように二項関係で捉えるのではなく、そこに「アーティスト」が入ることで三角形を作りたい、と話しました。
「その三角形の関係ができたとき、これまでのバランスが解体されるということが起こるんじゃないかと思うんです」
誰かが「答え」を持ち、そこにみんなで向かうのではなく、三角形の中心に「問い」を置き、それぞれの立場から知識を差し出し合う。そして、新しい関係性、新しい「答え」が生み出される……ファシリテーターとしてそんな風景を見たいのだと、臼井さんは語ります。
最後に、THEATRE for ALLでの活動でこれからチャレンジしていきたいことについてうかがいました。
「今いちばん難しいと思っているのは、『言語で行われる探求』と『身体で行われる探求』の間に壁があることです。例えば哲学的な対話を行う際、言語でコミュニケーションをとりますよね。でもそこに耳が聞こえない人や言語を使わない人が入った場合、どうコミュニケーションをとるのか……。『言語』と『身体』の間の壁をどう取っ払っていけるのか。その発明には、まだまだ時間がかかりそうです。いろんな方の知恵を集めないといけない」
「見当もつかないですね」
思わずそうもらすと、臼井さんは「だからこそやらないといけないし、そこに大きな可能性があるのだろうという予感があります」と言いました。
「そういう場を作るのって、すごく勇気のいることです。関係性を解体するところまでは事前に設計できても、そのさきにどんな関係性が生まれるかは、飛び込んでみないとわからない。でもTHEATRE for ALLには、それを先陣切ってやろうとしている人がたくさんいる。これからも、一緒にそういう発明をしていける人が増えたらいいなと思います」
回路28
「多様な人が集まる空間でのファシリテーション」のゴールは、固定化された関係性を解体し、新しい関係性をみんなで作り上げること。
固定化された関係性の解体。そのためには、自分がまとっている常識や固定観念といった“見えない皮膜”を脱ぎ捨てないといけません。
それは臼井さんの言う通り「すごく勇気のいること」でしょう。だけど、アートの力を借りればそれができるかもしれない。“見えない皮膜”を脱ぎ捨てた先に見える風景を、そこで生まれ出る新たな関係性や答えを、私も見てみたいと思いました。
そして、そんな空間をサポートするのが「多様な人が集まる空間をファシリテーションする」ということなのでしょう。
臼井さんの思索・活動については、こちらで知ることができます。ぜひチェックしてみてください。
▶︎https://note.com/uss_un
MIMIGURI
▶︎https://mimiguri.co.jp/
執筆者
土門蘭
1985年広島生まれ、京都在住。小説・短歌・エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事の執筆などを行う。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』(寺田マユミとの共著)、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
※本記事は、2021年2月10日に取材執筆を行いました。記載されている情報は執筆時点のものとなります。