投稿日:2024/02/07
こんにちは。今回レポートを担当する、渡辺瑞穂と申します。わたしは長野県佐久の生まれで現在は上田市に住んでいます。軽井沢町と同じ東信地域で人生のほとんどを生きてきました。また、障害者施設の支援員として10年ほど働いた経験があります。元々美術館や演劇も好きで、現在は無職をしながら芸術文化と福祉の両面でなにか関われないかとほうぼうに顔を出しています。この『まるっとみんなで映画祭』には、ボランティアスタッフとしても関わっていました。
2023年11月20日、映画祭最終日。軽井沢町で、アート、福祉、教育、まちづくりなどそれぞれの実践者であり、映画祭をサポートしてくださったキーパーソンを交え、まちづくり・地域社会における「アート」の役割とは何か?を改めて議論し、今回の映画祭を振り返るシンポジウムが開催されました。このレポートでは、シンポジウムでのお話しも交えつつ、私自身もボランティアとしてみてきた、軽井沢町で映画祭が開催されたことで立ちあがった風景や小さな芽について「地域」という視点から、書いてみたいと思います。
映画祭での取り組みをまとめたレポートはこちらをご覧ください。
それぞれが、ぞれぞれの立場で混ざり合う場を作るには?クロージングシンポジウムで語られたこと
トライアンドエラーのなかで、障害のある人もない人も、混ざり合うひとつの場づくりができた
4日間を締めくくるシンポジウムでは、6名の方が登壇され、映画祭プロデューサーの中村茜さんと信州アーツカウンシルの野村政之さんが進行を務めました。
クロージングシンポジウム登壇者(敬称略)
- 真山嘉昭(SC軽井沢クラブ) :スポーツ・公共施設での文化芸術の可能性
- 紅谷浩之(ほっちのロッジ) :地域医療と文化芸術の現場で起こっていること
- 直井恵(上田子どもシネマクラブ):映画館が教育・子どもたちに対してできること
- 武捨和貴(NPO法人リベルテ):福祉施設が地域で/と取り組むアートや表現の試み
- 土屋三千夫(軽井沢町長):軽井沢の町づくりのビジョン
- 宮本隆(軽井沢町教育委員会教育長) :軽井沢の教育の未来
中村さんは、シンポジウム冒頭、映画祭のポイントについて以下のように振り返りました。
- 今回、世代も障害のあるなしも超えて共に楽しめる映画祭をつくるということを掲げてきた。
- 初日の上映プログラムに、「信州監督特集」と題して、信州地域に関わりのある作品を選んだ。松本を舞台にしたドキュメンタリーが軽井沢でどのように響くか?という不安もあったが、シニアの方から「戦前、出征時のことを思い出す」「自分の人生を振り返るようだった」というお声をいただいたり。(地域史として、)こういう作品を地域で上演することの意義を感じた。
- 2日目、ジェンダーや自分らしさを大切にするということをテーマにした上映やイベント。ティーンエイジャー含め、子どもたちに向けた企画やグローバルスクールユナイテッド・ワールド・カレッジISAKのみなさんとの共同企画、ドラァグクイーンの読みきかせワークショップなども実施した。
- 3日目は、音楽、知的の障害のある方が活躍した1日だった。地域の福祉施設である浅間学園さんと共同開発した、大人も子供もみんなで映画を鑑賞しながら楽器を演奏する、音探しをするワークショップを実施。障害のある方たちと開発したワークショップを、障害のある人もない人も、様々な世代が入り混じる場でやってみるという挑戦をした。
- 4日目は、上田映劇とのコラボで、映画を見に行く遠足を企画。元々は、不登校の子どもたちに向けた企画だったが、普段遠出が不安になっているシニア世代から「行きたい!」という声をいただいて。新たなニーズを発見した。
野村さんは、「この映画祭のポイントは、いろんな映画をやるんだけれども、いろんな映画に対応してその地域に生きているさまざまな方達、多様な人たちが参加できる場所が、部分的かもしれないけど用意されていること。これは、アクセシビリティとも言えるのかなと。この取り組みをこれからどう続けていけるのかな、日常にどう生かしていけるのかなという話が、今日のシンポジウムでできるといい」と投げかけます。
スポーツや文化芸術はひとをつなぎ「境界線をぼやかす」
はじめに、SC軽井沢クラブの真山嘉昭さんから、“裕福なリゾート地に見えるが困難な状況にある子どもたちが大勢いる”という現状とSC軽井沢クラブでの活動についての共有がありました。SC軽井沢クラブは、今回映画祭への協賛、バスの手配、養護施設の子どもたちとのつながりづくりなど、さまざまな面で共に映画祭づくりをサポートされました。真山さんは、最後に、「私たちは普段から、さまざまなことを分類し、境界を作って、比較します。効率を追求して今の社会がある。時にはその境界線をぼやかして、多様性に触れることが大切。学び、経験を通じてより良い社会を目指していきたい。スポーツや文化芸術を未来に残していくことは人と人をつなげていく力になる。今後も継続してこの映画祭を続けていけるようにみんなで一緒に考えていきたい」と話されました。
病人と医者ではない関係性。文化芸術活動とゆるやかな仲間
続いて、軽井沢で地域医療と表現活動を両輪として実践されるほっちのロッヂの紅谷浩之さんのお話です。ポイントは「役割の固定化」からいかに抜け出すかという視点。「医療の現場では“病人と医者”という固定した関係性になってしまいがち。病院では、がんの患者さんでも、在宅で家に伺うとお父さんだったり、将棋仲間だったり、元町内会長のお祭り男だったりするんです。」ほっちのロッヂのコンセプト、「病状や状態、年齢じゃなくて、好きなことをする仲間として出会おう」に表現されているように、好きなことを持っているひとりの人間同士として出会うことで、その人の持つ生命のエネルギーに出会うことができると言います。「アートと看取りという異なるものをなぜ一緒にやるの?と聞かれる。でも同じものなんです。」という紅谷さん。「文化芸術活動は病院で測定されるような数値ではない、人のエネルギーにつながるものではないか」という問いかけが印象的でした。
見えにくい存在や状況を、街の中で見える化すること
上田市で障害のある方の活動を支えるNPO法人リベルテの武捨和貴さんは、先の真山さんの発言から”境界をぼやかす”というワードを拾いながら、外からは見えにくい福祉施設のなかのモノやコトを街のなかにどう見える化していくかということについて、リベルテでの表現活動の事例を交えながら紹介。「特別なことをしていくというより、小さな福祉施設として、メンバーや街の人が持ってきてくれるものを可視化していくことを大切にしたい。この人たちは既にここにいるんだよということを表現したいんです」と話します。
居場所になる。映画、映画館のもつ可能性
続いて、地域資源として元々あった映画館、上田映劇を年々増加していく不登校の子どもたちの居場所づくりのためにひらく「うえだ子どもシネマクラブ」の活動について、直井恵さんからお話がありました。子どもたちが「本音を安心して吐き出せる場」「自由にふるまえる場」「大人と子どもの関係がフラットでいられる場」を目指しながら、さまざまな地域の団体と徐々にネットワークを広げてこられました。
「優れた作品を子どもたちに届けることで、子どもたちが、教科書で学べないような題材にアクセスできること、映画館が居場所であり、学びの場として機能すること」を大切に、活動されており、現在は、就労支援も。「映画館、劇場が公共の場として、社会包摂の場として機能して行って欲しい」と語ります。
誰も取り残されない社会を。軽井沢らしい多様なコミュニティづくりを目指して
土屋町長からはこれからの軽井沢町のビジョン、「誰も取り残されない社会」、多様性ある軽井沢町をいかに目指してゆくかについて、お話がありました。「家族の形も多様化している時代。これまでの形にとらわれないコミュニティの形を模索していくべき時期に来ている」「何かあっても、どこかのコミュニティに属しているというのは、防災面でも大事なこと」「昔から、結や講というものが日本には伝統的にあるが、一周回って、新しい結や講の現れ方というのがまだまだあるのでは?」と、多様なコミュニティが町内に生まれていくことの重要性について触れられました。
宮本教育長は「学校の外に学びの場が保障されていくこと」が大切であり、先生や親とのタテの関係、同級生たちとのヨコの関係だけではなく、人生経験豊かな大人たちとのナナメの関係によって子どもたちが育っていくこと、そういう場づくりが重要であると話されました。
シンポジウム全体を通して、”境界をぼやかす”、”関係性の編み直し”、”多様性に出会う”、という言葉がキーワードとして立ちあがりました。様々な立場やそれぞれの主とする活動フィールドは違えど、語られることは”その人がひとりのその人として尊重されること”であり、そのためには同じ地域に生きる多様なわたしたちがいかに”混ざり合う場”をつくり、出会っていくのかということを共有していました。
プロデューサーの中村さんは「芸術文化的な場所が、世代や興味関心を超えて集まれる場所を作れるというのが示せたと思う。映画祭がもっと日常的な場として機能していくことも大事だけれど、ある意味、祝祭、祭りのような場で多様性、混ざる場が確保されていって、普及していく呼び水になっていくことも意識していきたい」と語ります。
多様性や包摂的な社会の実現について考えましょうというと敷居が高く感じる場合もあるかと思います。ほっちのロッヂの紅谷さんは、「いきなり踊りましょう、歌いましょうはハードルが高くても、映画祭、みませんかは、アクセスがしやすい。映画を観ていること自体も、なにか表現になっているというような表現があると思う」と話します。土屋町長は、「混ざってもいい、迷惑をかけてもいいという安心感を町の中でつくっていくことが大切。これは我々にとっては小さな一歩だけど、コミュニティにとっては大きな1歩だ、と言いたいと思います」とシンポジウムを締め括られました。
前編では、映画祭最終日のシンポジウムについてお伝えしました。後編は、映画祭のなかでそれぞれの場所にあらわれた風景について書いていきたいと思います。