投稿日:2023/02/17
“屋根のない病院”軽井沢で、病院という場を居心地の良い空間にするために
「まるっとみんなの調査団」は、軽井沢を中心とした長野県東信地域にインクルーシブな映画祭をつくるべく立ち上がった運営チームです。2022年9月に行われたキックオフミーティング以降、10~70代までのさまざまな思いを持った11人のメンバーが活動をしてきました。
▶︎【まるっとみんなの調査団 in 軽井沢】キックオフミーテーティング レ ポート | THEATRE for ALL
2022年10月~12月までは、インクルーシブな地域活動に取り組むキーパーソンたちにインタビューを行い、多様性のある場づくりのためのヒントや、アート活動をきっかけにつながりを生み出すポイントをメンバー全員で学んできました。こうした全3回のインタビューを経て、まるっとみんなの調査団では、誰もが一緒に楽しめるインクルーシブな映画祭「まるっとみんなで映画祭 in 軽井沢」に向けたアイデアをまとめていきます。
今回のレポートでは、10月に軽井沢病院院長・稲葉俊郎さんから伺ったお話について紹介します。
稲葉さんは1979年熊本生まれ。東京大学医学部付属病院助教を経て、2020年4月から軽井沢病院へと拠点を移し、2022年より院長に就任されています。明治から「屋根のない病院」と呼ばれている軽井沢を舞台に、医師として、また文化芸術の可能性をこよなく信じる表現者であり、さまざまなジャンルの架け橋役として、まちづくりやアートプロジェクトを多数手がけています。
稲葉さんが「医療とアート」という一見まったく異なる分野を出会わせ、交じり合わせるときに考えていること、軽井沢町という空間の中で病院という場所をどのようなイメージでとらえているのかをお伺いしました。その壮大なビジョンと機知に富んだアイデアに触発され、メンバーが「映画祭」に持つイメージも自由に羽ばたいたようです。
医療者と医療を受ける人とが、上下関係なく対等な関係で出会うことを目指した”世界に一つだけの「おくすりてちょう」~karuizawa hospital witout roof~プロジェクト”
三枝 稲葉さんが山形ビエンナーレの芸術監督を務められたり、「おくすりてちょう」のプロジェクトでデザイナーさんとコラボレーションをしたりと、医療者でありながらアートの取り組みもされている感性は、業界の「普通」とされているところからちょっと飛び出る感覚があるのかなと思います。一般的に医療業界で前提にされている医療者のあり方について、まず伺いたいです。
稲葉 医療行為の根本は、困っている人を助けるとか、困っていることを何とかするという行為だと思うんですね。それが専門化したのが医療という世界だと思っていて。一方、医学は生命の探究にかかわります。哲学や宗教も含めて学問的に生命を探求していく中で得られた知恵と、実際に困っている人をうまくつなげていくのが、医学の世界だと考えています。(一般的とされている領域をはみ出すとか、飛び出るという感覚よりも)生命のことを知り、困っている人を助けるというふたつのことを、ただリンクさせるような感覚でいます。
高橋 コロナ禍で、病院は特に近寄りがたい空間になっていたと思います。そういう病院でアートを取り入れることはどのような働きをすると思いますか。
稲葉 ふたつのアプローチがあると思っています。ひとつは、病院という場を居心地の良い空間にする方法。最近、軽井沢病院の玄関に、障害のある人がデザインしたラグを置いて、視覚的に空間を変容させていくということをやりました。ただ病院という空間は、やはり医療的に特化した機能的な空間である以上、なかなか限界があると思います。
もうひとつの方向としては、明治時代に軽井沢へ移り住んできた宣教師たちが軽井沢のまちを「屋根のない病院」(HOSPITAL WITHOUT ROOF)と言ったというエピソードに、ピンと来たんです。つまり困った人たちを助けようというとき、病院の中で完結せずに、まち全体を病院に見立てて空間を考えるということです。僕の中では、軽井沢にあるペンション全部を「病床」に見立てているんです。その「病床」を、人がどう経由してどう元気になっていくか。
大久保 そうやってまち全体を病院に「見立てる」という考え方はすごくステキだなと思いました。イタリアのある都市では、ホテル機能をまちのあらゆるところに展開させているそうです。宿泊者がまちの中で、そのまちならではのいろいろなことを経験しながら回遊していくというシステムなのですが、「屋根のない病院」もそういうイメージなのだろうなと思います。
中村 「おくすりてちょう」が生まれた経緯と、プロジェクトづくりにとって大切なことを教えてください。
稲葉 お薬手帳って、僕すごく嫌なんですよね(笑)。診療費がお得になるからとみんな使っているけれど、特に大切にはしていない。患者さんを管理したいというアイデアがまずあって、でもコントロールできないからお金で誘導するという流れが、嫌でたまらなかった。そんなお薬手帳を変えたいと思ったことが、この「おくすりてちょう」のプロジェクトのきっかけです。
人と人、医療者と医療を受ける人とが、上下関係なく対等な関係で出会うことができないだろうかと考えたときに、アートこそが人の不定形なイメージを大切に提示してくれそうだと予感したんですね。それこそ映画とか舞台なんかは、まさしく薬だと思うんです。そういうことを表現できないかなと思っていましたが、自分だけでは形にできませんでした。
そこに「RATTA RATTARR」(現chaledo)の須長檀さんとの出会いがありました。デザイナーとしても一流で、ビジネスの先をいった仕組みで人を幸せにすることを考えている須永さんだったら、自分が思ってることをきっと受け止めてくれるに違いない、とお願いしたら、快く素晴らしい仕事をしてくださいました。何かを生み出したいとき、本当に出会いって大事だと思います。出会うためには、自分の声を発信しておくことも大事なんですけどね。
大久保 芸術祭、映画祭というのは、ある種の非日常的なお祭りです。まち全体を病院に見立てる稲葉さんとしては、そういった非日常の中での病院の機能をどのように想定されますか?
稲葉 僕の考えでは、フェスティバルというのは、もともと神のような超越的なものの下でみんなが対等になる場だと思うんです。日常にあるヒエラルキーとか、技術や経験の差でカテゴライズされているものが祭りの空間の中でリセットされ、フラットになる。
僕はそういう祭りによって生み出されるフラットな空間が、もっと日常的にあればいいなと思ってます。現代ではあまりに違いや上下関係が大きいので、祭りでドーンとリセットしないと取り戻せなさそうですが…。日常の中で、みんなが対等に自分の得意分野を分け合って差し出し合う共同体が、一番プリミティブな形なんじゃないでしょうか。お祭りは、そういうプリミティブさを取り戻していくプロセスの一環ですね。
稲葉俊郎 https://www.toshiroinaba.com/
軽井沢病院 https://www.karuizawahospital.jp/www/hospital/index.html
chaledo(旧:RATTA RATTARR) https://chaledo.jp/
人と人が対等に暮らすこと、命に対する知恵で困っている人を助けること、その理想を感覚的に、経験的に人びとに伝えるアートへの信頼。そんなことを感じさせてくださったインタビューでした。インタビュー後のメンバー同士での振り返りでは、映画祭が必ずしも作品上映だけでなく、まちのいろいろな場所を人びとが回遊する仕掛けづくり、普段は出会わない人同士が出会うきっかけづくりなどについて、活発なアイデア交換がされました。
次回レポートでは、上田市を拠点に、障害のある人たちとアート活動に取り組むNPO法人リベルテさんへのインタビューをお届けします。リベルテさんがまちに溶け込んでいく様子には、まちの人がお互いにできることを持ち寄って出会い、誰かの困りごとに向き合うことで、稲葉さんが語ってくださったお話を理想とするような「みんなが対等に自分の得意分野をわけ合って差し出し合う共同体」をつくるヒントがもらえるかも?
文責:唐川恵美子
インタビュー参加者:石巻、大久保、高橋、竹中、塚越、御園、若林
運営:中村、唐川