投稿日:2024/01/12
こんにちは、THEATRE for ALL 編集部の篠田です。
今回の「100の回路」では、アウトサイダー・アートのキュレーターとして、これまで300以上のヤンキー文化や死刑囚による絵画、障害のある方の作品など、美術の「正史」から外れた表現活動を取材し、展覧会を企画してこられた櫛野 展正さんに、その活動の起源、大切にされていることについてお話を伺いました。
「100の回路」シリーズとは?
回路という言葉は「アクセシビリティ」のメタファとして用いています。劇場へのアクセシビリティを増やしたい我々の活動とは、劇場(上演の場、作品、そこに巻き起こる様々なこと)を球体に見立てたとして、その球体に繋がる道があらゆる方向から伸びているような状態。いろんな人が劇場にアクセスしてこれるような道、回路を増やしていく活動であると言えます。様々な身体感覚・環境・価値観、立場の方へのインタビューから、人と劇場をつなぐヒントとなるような視点を、“まずは100個”収集することを目指してお届けしていきたいと思っています。
櫛野 展正(くしの・のぶまさ)
日本唯一のアウトサイダー・キュレーター。
1976年生まれ。広島県在住。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」 でキュレーターを担当。2016年4月よりアウトサイダー・アート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。2021年からは、「アーツカウンシルしずおか」のプログラム・ディレクター。
※櫛野さんの”クシ”の漢字は本来「木」偏に「節」の字ですが、恐縮ながら当サイトのフォント制限により異字体である「櫛」の文字を使わせていただいております。
障害のある人の行為や動作が表現になる。櫛野さんのキュレーションの原点
「フランスを訪れたとき、ルーブル美術館が近くにあっても、『あの三角形のピラミッドはなんだ』という感じで、初めからアートに興味があるわけではなかったんです。」という櫛野さん。2000年に地元の福祉施設へ就職し、障害のある人の表現活動の支援をはじめることになったところからアートとの関わりがスタートしたそうです。
「障害のある人たちが施設での木工や畑仕事など『作業』をしている様子があまり楽しそうに見えなかった。アート活動を始めたけれど、美術を学んでいたわけではなかったので、夜勤明けとか休みの日を利用して、自分の足でいろんな福祉施設のアトリエを訪ね歩いて学んでいきました。」
福祉施設のアート活動についてインプットするとともに、現代アートを中心に独学で様々な作品を見ていく中で、櫛野さんが参考にされたのは、1950年代、関西で活躍した「具体(具体美術協会)」の技法。例えば、行為や動作そのものが絵画表現に直接結びつくようなアクション・ペインティングなど、障害のある人たちの特徴がそのままアウトプットされていくような表現のあり方にヒントを得たといいます。
「普通に机に座って描くのではなく、何かを投げつけるとか、遊びの中でできることがあることを知ったことは大きかったです。働いていた施設には、知的障害に加えて、視覚障害や脳性麻痺の方、精神障害を併発した方もいたりして、介助がないと生活できない重度の方が多かった。そういう人たちが『自分がここにいていいんだ』と自身の存在意義を声高に叫べるようなものって何かないだろうかと考えたとき、アートか音楽だなと思いました。」
回路48
障害のある方の行為や動作そのものが絵画表現になるような技術を現代アートから学んだ
櫛野さんの施設からも素晴らしい美術表現をするスター作家が現れるようになりました。しかし、当時、発表の場として用意されていたのは、年に1回の展示会。なんとかこの表現をもっと社会にひろめたいという思いから、チラシやプレスリリースも全て自作し展示会場を探して、銀行や文化センターのギャラリーなどを訪ねてまわり、外へと活動を広げていくようになります。当時は孤軍奮闘状態で、協力者もいない中、必要なことを全て自分でやっていた櫛野さん。施設の外に出て展覧会をするようになったとき、見に来てくれるのは福祉関係者で、一般のお客さんにはなかなか広がっていかないという壁にぶつかります。
「よく考えたら自分も、公共施設のギャラリーの展覧会を休みの日に積極的に観に行ったりしないし、これは発表場所ややり方を変えなきゃいけないなと思って。自分が普段から行ってる場所に何か飾らしてもらえないかなと思って。カフェやクラブで作品を見せるようになったんです。」
それまでは、福祉の仕事をしていることを友人には伝えてこなかったそうですが、作品を紹介し始めると周囲の反応は思ったよりも良く、そこから、障害のある人の表現に興味を持った若い人たちと一緒に地元で「障害者のアート」をテーマにしたイベントを開くようになります。カフェへお茶を飲みに来たお客さんも含めて、これまで障害のある人の表現に触れたことがなかった人もファンになってくれるような機会をつくっていきました。
回路49
福祉の展示会を開くのではなく、普段自分が行く場所で障害のある方のアートを展示した
文化的伝播を受けない独学自修のアート、アウトサイダー・アートの面白さ
櫛野さんがキュレーション活動をスタートさせた2004年の頃、まだ「アウトサイダー・アート」という言葉はそれほど広まっていなかったそうです。フランスのパリ市立アル・サン・ピエール美術館で2010年から2011年にかけて開催された「アール・ブリュット ジャポネ」展などをきっかけとして、日本の障害者アートが世界に認知されていくようになったことも手伝い、障害のある人のアートを国内で見てもらうための場所として、櫛野さんの地元、福山市にアール・ブリュットを紹介する美術館、鞆の津(とものつ)ミュージアムが誕生しました。
「福祉施設の中で、これまで不要とされていたものがアートとして再定義されていく場に立ち会っていたこともあって、最初の展覧会は“ごみ”をテーマにしようと思いました。それで企画したのが、『リサイクルリサイタル-幸せ時間の共有-展』(2012)でした。」
本企画を通して、貴重なものと、そうでないものを線引きする当たり前の感覚が柔らかく刺激され、「日常」を正確に見つめ、日々の暮らしのいたるところに存在している「価値あるもの」への再発見が促されることを願います。
リサイクルリサイタル 幸せ時間の共有(鞆の津ミュージアムのwebページより)
当たり前になっているような価値基準、不要と要を見つめ直す。実は面白い、実は美しい、愛らしいものについて再発見し、もう一度その良さについて考えてみることが日常を豊かにしてくれることがある。障害のある方の作品だけではなく、地方で目にするようなおばあちゃん達の手工芸品(「おかんアート」)や家の周りを独自なセンスで飾っているおじさんの作品。この素晴らしいものたちはもっと知られて、評価されてもいいはず、と考えた櫛野さんは、アウトサイダー・アートを続々とキュレーションし始めます。
アウトサイダー・アートは、一般的には「正規の美術教育を受けてない」という説明がなされます。しかし、美術大学での教育を受けていない現代アーティストもいれば、福祉施設で絵画の技術教育を受けている障害のある方もいる。櫛野さんにとってのアウトサイダー・アートの定義は、教育を受けているか受けていないかではなく「文化的伝播の影響を受けてない独学自習の作品」であるそうです。
「親から子へ、子から孫へと伝わっていないこと、例えば印象派とか、モードの影響を受けてないこと。その人が死んじゃったら終わりっていう儚さがすごく心を揺さぶられるっていうか。一代限りの芸術ですよなんですよね。」
回路50
アウトサイダー・アートは文化的伝播の影響を受けてない独学自習の作品
稲村米治さんは、昆虫の死骸2万匹以上を使って千手観音をつくる。
西本喜美子さんは、老後に趣味ではじめたカメラの自撮りが話題に。今では23万人以上のインスタグラムフォロワーをもつ。
生まれた頃から心臓の障害で、多くの時間を家の中で過ごしてきた伊藤輝政さんは、紙製のデコトラを作り続けてきた。櫛野さんとの出会いから縁が繋がり、現在は引っ越し会社への就職も果たした。
「日本のアウトサイダー・アートを300以上発掘・取材してきましたが、アウトサイダー・アートの枠を広げ、数を増やしていくことだけではなく、その中からファイン・アートに切り込んでいくようなことがしたいと思っています。」
アウト・サイダーアートが、巨大な日本の現代美術業界に吸収されてしまうのではなく、対等なジャンルとして確立すること。現代アートの美術館コレクションの丸々ひとセクションがアウトサイダー・アートに入れ替わるくらいのことが起きて、美術業界にも影響を与えていくことを目指していると櫛野さんは言います。
京都市京セラ美術館で開催中の『平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989–2019』は、1989年から2019年の間に、社会的事件や経済的事象、自然災害など様々な揺れのなかで、現代美術がどのように変遷してきたのかを辿る展覧会。Chim↑Pom、contact Gonzo、DOMMUNEなど平成を代表する14組の現代アートの作家としてクシノテラスが選ばれています。
大事なのは、どうして障害のある人のアート活動をサポートするのか、ということがぶれないこと
アウトサイダー・アーティストを世の中に紹介していく時、櫛野さんには、いつもジレンマがあるといいます。例えば、知的障害などがある方の場合、ご本人の意思に関係なく、人気が出て、ずっと絵を描かないといけなくなった人もいるかもしれない。障害のある方のアートに見られる表現(例えば、自分の名前を羅列する、記号をたくさん描く、地図のように上から俯瞰した絵を描くなど)が、芸術の世界の評価軸では、勝手に「二番煎じ」的な扱いを受けたりもする。障害者のアートが社会の流行りになっているという一方で、パイが増えれば増えるほど、評価される人が少なくなり、一度評価された人は、描き続けなければならないというプレッシャーとも戦っていかないといけないかもしれない。これまでアーティスト活動をしていなかった人が、作家として有名になって世の中に出ていくことは、必ずしも良いことばかりでない場合もあります。
「自分でも正解は分からない。人生に光を当てるお手伝いはできたんだけど、その後一生サポートしていけるわけではないので、あの人を、果たしてこのアート・ワールドに投入してよかったのかなって思うことがあります。僕はそれをいつもすごく自覚的に考えているのが、まだ救いかなと、自分では思ってるんですけども。」
“搾取”をしてしまうことと、常に隣り合わせの状態であることを意識すること。そして、あくまでも「障害のある人にとって、アートは支援の手段のひとつ。その人がよりよく生きるための方法」という軸をぶらさないことを大切にされているそうです。
回路51
その人がよりよく生きるためのサポートとしてアート活動を支援する
櫛野さんが関わられていた施設にいたあるダウン症の方は、絵を描いて何かを発表することは難しかったけれど、魅力的な踊りを常に踊っているような方だったそうです。
「ご飯を食べてても体を振っちゃうし、お風呂へ入ると水中で3回半必ず回るとか、ソファーがあるとほふく前進していくとか、常に踊ってるような人で。すごく面白いなと思ってたんだけど、絵のように何か描いて発表するとかができなくて。どうしたらいいかって思ってたときに、この人の映像作品を作ってそれを社会に発表すればいいんじゃないかと思ったんです。」
櫛野さん自ら映像を撮り編集して発表したことが、2005年のヴェネツィア・ビエンナーレへの出展につながり、ご本人と保護者の方を連れて一緒にイタリアへ行くことができたそうです。日本の施設にいたら「問題行動」とされてしまっていた踊りは、海外でアートとして評価され、日本に帰ってきた後は、お風呂で3回転しても職員に怒られることはなくなったそうです。
「本人がやってることは何も変わらないんだけど、周囲が変わるっていうか、ちょっとだけ過ごしやすくなるっていうのはすごくいいなと思いますね。だからそういうふうに、その人に適した支援が必要だなと思います。」
回路52
障害のある方のアート活動のなかに”周囲”が変わるきっかけがある
ある人がよりよく生きるために、また存在証明としてアート活動があるとともに、それをみた人たちが、また、自分の生き方について考えたり、あるいは障害のある方の表現をみている自分自身に出会い、自身の中のバイアスに気づいたりする。櫛野さんのお話を伺って、既存の関係性に揺らぎを与えたり、新たな問いを生むアウトサイダー・アートは、世界が少しずつ変わっていくためのひとつの起爆剤的なものであるように感じました。
執筆者
篠田栞(しのだ・しおり)
1990年奈良生まれ。京都大学文学部卒業。広告代理店、デザインコンサルで、新規事業や企業ブランディングにまつわる営業、プロジェクトマネージャーなどを経て、独立。フリーランスで編集ライター、ファシリテーション等を行う。2020年、THEATRE for ALL立ち上げ時に、コミュニケーションチーム統括として、WEBサービスの設計、コミュニティデザインを担当したことをきっかけに、precog事業に関わる。また、アジアの伝統芸能の身体に興味を持ち国内外でパフォーマンス活動を行う他、中国伝統医学をベースにした薬膳の活動も行なっている。
※本記事は、2020年12月に取材執筆を行いました。記載されている情報は執筆時点のものとなります。