2024/01/19
2023年11月17日(金)からの4日間、長野県軽井沢町で開催された『まるっとみんなで映画祭 in KARUIZAWA 2023』。さまざまな世代、障害のある人、ない人が入り混じり、地域の人たちもスタッフとなって作り上げた映画祭、3日目と4日目についてのレポート後編をお届けします。
▼前編はこちら
その場全員の存在が、その日の、今日だけの演奏をつくりあげる。ドキュメンタリー『音の行方』上映会と〈音遊びの会〉パフォーマンス
3日目障害のある人もない人も一緒になり、さまざまな楽器を演奏し、歌い、踊るということをコンセプトに神戸を拠点に活動する即興音楽集団〈音遊びの会〉の活動を追った、ドキュメンタリー映画『音の行方』が上演されました。上演会の後には、いとうせいこうさんも参加して、実際のパフォーマンスも行われました。
『音の行方』の上映では、これまでの3日間の中でもとくに年齢も性別も特性も様々な人が観賞に参加していました。静かに眺める人、音楽に合わせて身体を揺らす人、立ち上がってみる子ども、観賞の様子も様々です。この映画祭で何本か映画を鑑賞しましたが、今までと様子が違うように感じたのは、みんながグッと画面に集中している瞬間があったことです。それは一瞬でしたが、それぞれがゆっくりと映画のなかに誘導されたかのようでした。
わたし自身も障害者の支援の現場に関わっていたこともあり、どのシーンもどの語りも胸を打つものでした。メンバーが音楽を通してのびのびとそこにいる様子や、わが子の障害がわかったときのことについての母親の語り、ミュージシャンの方たちが伴走し眺めてきた景色など、すべてではなくとも共鳴する瞬間があり、支援者として関わっている多くの人たちに観てもらいたいと思いました。もちろん、そうでない人にも。
上映後。パフォーマンスがはじまると、会場全体が音楽を作っていて、ドラムスのビート、ギターを弾く人、打楽器のリズム、ことば、歩き回る人、寝転がる人、ハーモニカの音、積木で遊ぶ子どもたち、踊る子ども、どこかから聞こえる吐息まじりの言葉のような声、子どもの声、静寂、吐息、どれもが音楽になっていました。
客席から希望者を募る即興セッションの時間に、先ほど音に合わせて踊っていた子どもが手を上げ前へ行き、いきいきとのびやかにリズムを刻み、メンバーもそれにセッションします。
最後は、客席全体にいっしょに演奏しましょうと声がかかりました。おずおずと少しずつ前へ出ていく人が増えていき、それぞれ楽器を手にとります。変わらずに演奏を続け、踊りつづける音遊びの会のメンバーたちに観客が徐々に混ざり始めます。いろいろな楽器に、いろいろな音色、リズムに乗る人、静かにそこにいる人、踊る子ども踊る大人、その場全員の存在がその日の、今日だけの演奏を、音楽をつくりあげた瞬間でした。
後日、音遊びの会の方からいただいた感想には、あるメンバーはいつも以上にのびのびと観客と交わっており、あるメンバーは弾き語り中に周囲が騒がしいとしかめ面になるそうですが今回は演奏中に遊んでいる子どもたちを穏やかに受け止めていた様子が見れたと書いてありました。そして、それは”場の力”ともおっしゃっていただきました。
あの日あのときを共にしたみんなで、かけがえのない一瞬を作り上げたのだと改めて感じました。
「心の不自由さをほぐしてく。」居場所をつくり、みんなを成長させる音遊びの可能性
音遊びの会で副代表を勤める森本さんは、保護者でもありパフォーマンスメンバーでもあります。森本さんは、「18年やってきて、ここは本当に自由に過ごせて、仲間が家族的な感じで、本当に”居場所”で。なくなったら困る。うち(森本さんの息子さん)なんてほんとに歩いて終わる日もあるし寝てる日もあるし、でも本人にとって心地よい場所なんだと思います」と話してくださいました。
また、代表の飯山さんは「(18年、音遊びの会を)やってきたなかで、瞬間瞬間で、もうこの人はケアはいらないなと思うときはあって、でもそれは本人の成長も変化もあるんですけど、周りの変化でもあって、ケアをする対象ではないって周りのミュージシャンも気づいた時があったんですね。あるときに、“いっしょにセッションする相手”だということに気がつく時が来る、とそう思ってます。」
「親も子離れできないところもあるけど、ふとした瞬間に あ、いけるんやな と思いました」と語ってくださいました。
音楽や演奏することを通して仲間になっていく過程もあります。一方で、なにもしなくても寝てるだけでもその場にその人がいることで空間が作られることがあります。障害がある人、ない人、もしくはケアをする人、される人という関係性や見方から解放され、お互いに”場をともにする人同士”という意識になるとその人にとって本当の”居場所”になるのだと思います。そして、それが実践され続けていることは本当に素晴らしく多くの人に知ってもらいたいと感じました。
さて、この日の主役はやはり音。音で遊ぶことをを通して、どんなことが起きるのか。飯山さんは「音は、残らないものなので、その場の面白さがあって、”残らなさ”は強みだなと思っています。その日の、彼女の音楽があって、それは、もう一度おんなじ演奏はないんですけど、その楽しさっていうのは、かけがえのないものです」と話してくださいました。
今回、参加した、いとうせいこうさんは、「かれらはこちらが思いつかないようなアドリブをしてくれるから、それに反応していると全体が音楽のようになっていく。それが自分にも刺激的なので。僕は彼らの魅力をどういう風に知らない人に伝えるか、翻訳者みたいな立場でやってますね。」
「自由であるということが、ときおり、ある一瞬、全員が図ったように見えたり見えなかったり。あるいは見ている人が参加しちゃっていいわけなんだけど、そして参加してきちゃったことも、かれらは全然平気で訝しむ様子もなく進んでいく。その全部が自由だっていうことが、おもしろいですよね。演奏したままどっかいっちゃったりとか全然平気だから、そういうこと。なんでそれはしちゃいけなかったんだろう今まで、って逆に考えさせられるっていうか。いいんだなそういうのも自由なんだ、それ全体が音楽、パフォーマンスなんだって。見てる方も、心がそれを補うことによって成立していく。自分の不自由さをほぐしていく力が彼らにはある。みるまえとみたあとでは、なにか、自分が違ってくるっていうかそういう力がありますね。」と語ってくださいました。
飯山さんは「人は自分の身近な世界で生きがちで。でも、こういう映画祭があると、自分の周りにも、ほんとにいろんな人がいるんだなということに気づいて、なにか、世界がおもしろくなる機会になると思います。」
メンバーの保護者の森さんは「(障害がある人が)特別な存在ではなく、線をどこで引くではなくて、みんなゆるーくいろんなものを持ってると思うので、そんないろんな人たちがいるということをこの映画祭で感じてもらえたらいいと思います」と、映画祭の意義についても話してくださいました。
バスで行く!地域のおばあちゃんたちも楽しんでくれた上田映劇の遠足上映会
4日目に開催された上田映劇で「遠足上映会」が開催されました。これは、軽井沢駅まで、シャトルバスで参加者の皆さんをお迎えに行って、しなの鉄道の駅を何駅か経由してみんなで映画館に行こうというもので、学校に行きにくい、行かない子どもたちの新たな『居場所』として映画館を活用する活動をしているうえだ子どもシネマクラブと共に、子どもたちに開かれた上映会として企画されたものでした。
予想外だったのは、地域のシニアたちから好評だったこと。「映画見てみたいけど、機会も、移動手段もなかなかなくて」という方たちがこの上映会を楽しんでくださったことは、実行委員会としては予想外の嬉しい出来事だったようです。結果として、10代からシニアまで、さまざまな世代が一緒にスクリーンを囲むアットホームな上映会となりました。
色んな人の立場で、心地よい鑑賞環境を考える
『さかなのこ』を鑑賞した方が、こんな感想をおっしゃっていました。「わたしの子どもがまさに”さかなクン”のような子で『さかなのこ』を見せたいと思っていたのですが、2時間もじっとして観賞することが難しく諦めていて、でも、今回の映画祭で上映されることを知り、来ることができました。前方のフリースペースで遊びながらも最後の方では身を乗り出してずっと集中して映画を観ることができました」
同じく『さかなのこ』を観賞した聴覚障害のある方は「近所でみることができてうれしい。日本の映画は字幕がついていないものがほとんどで観るために長野市までいかなければならない。」「昔は外国の映画が多くどれも字幕がついていたから観ていたけど、日本の映画は当たり前に字幕がなくて」と話されました。
今回わたし自身、映画を観ているときに不思議な感覚になりました。それは、映画を観ているのか、映画を観ることを通してここにいる人たちと場や”空間を共有している”のかということでした。
映画がおもしろいのはもちろんなのですが、例えば劇場や映画館だけではなく、地域の人が集う公民館という場所。そこには、スクリーンがあり、ゆるやかに置かれた背もたれの低いベンチソファや前方の遊んで過ごせるフリースペースはお互いの存在を侵害せず、でも認識しあえる距離感に配置されていました。同じ空間で、同じ映像を眺め、音を聴いて気配を感じていることは、知らず知らずのうちに自分以外の他者を感じ、同時に自分をもゆるせる空間であったと感じます。他者を認めるには自分をゆるせることが大事。あの場はゆるやかでやさしい空間でした。「どこで、どんな姿勢で、どんなふうにしたら心地よく作品をみられるか?」細やかな他者への想像、鑑賞環境への配慮が、そのやさしい空気を生み出していたように感じます。
何かに出会う場所。問いが混じり合う、ユニバーサルな映画祭の面白さ
さまざまな人が集う映画祭に訪れると、知らず知らずのうちに、知らなかった世界に出会うことができます。それは、映画を通して出会うことでもあるかもしれないし、その空間に居合わせることで出会うことでもあるかもしれません。それは、他者であるかもしれないし、自分のなかの新たな一面かもしれません。そして、訪れた自分自身の存在や言葉やふるまいの一つが、意図せず誰かにさざ波を起こしていることもあるかもしれません。
出会うはずがなかった誰かやなにかと出会い、経験するということが、「あの映画、観てみたかったから行ってみよう」「近くでやるから行ってみよう」「なんだか面白そうだから行ってみよう」という、なんだか気になったというきっかけひとつで起こったら、それはとても素晴らしいことです。ちいさなさざ波は、出会うことでどこかでおきつづけているのだと思います。たくさんのひとが、たくさんのなにかに出会ってもらえたらと切に願い、そのきっかけとして、映画祭がユニバーサルに、誰にでも開かれていてほしいと思います。
また、この映画祭は、立ち上げの段階から、軽井沢地域に住む世代さまざまのメンバーと映画祭の実行委員会が共に、つくりあげてきました。映画祭そのものだけではなく、映画祭がつくりあげられていく過程にも、さまざまな変化、気づきがあります。そのことについては、また別のレポートでお伝えしようと思います。
『まるっとみんなで映画祭』について、ひとことでまとめることはとても難しいと感じました。「どんな作品を上映する?」「いろんな人に心地よく観てもらうには?」「観た後にどんなイベントがあるといい?」「地域の人たちと一緒に場づくりをしていくためには?」「地域の人たちに喜んでもらうためには?」これからも、いろいろな視点やクエスチョンが入り混じりながら、じわじわと育ち、色んな場所に広がっていってほしいです。
自分では気がつかないことが多いですが、身近な地域にこそ出会ったことのない人たちや世界がたくさんあふれています。一人のひとや言葉や風景との出会いは、思っていたよりも世界を広げてくれることがあります。1年にいちどのお祭りだからこそ、その地域のいろんなたくさんの人たちがさまざまな垣根をものともせずに混ざりあえる機会となります。
そのためには、「この映画を観て感想を話してみたい」「こんなことしたら楽しいんじゃない?」「こういう配慮があると心地よいな」といったとても個人的な想いが、ほかの誰かの代弁や気づきになり、より『まるっと』『みんなで』つくりあげる映画祭に繋がっていくと思います。ひとつでも多くの人の希望や感想が気軽に行き交うことで映画祭がよりよく育ち、そしてさらに地域や人々に巡っていくことでよい循環がまきおこることを楽しみにしています。
まるっとみんなで映画祭実行委員は、もっとたくさんの方の意見を聞きながら、ユニバーサルな映画祭を育てていきたい」と考えています。次回の開催を目指して、現在、クラウドファンディングを実施中(2024年1月31日まで)。ぜひ、この取り組みを未来へと繋げていくために、ご支援ください。また、地域で映画祭をやってみたいという企業や団体の方がいらっしゃれば、ぜひご相談ください。
執筆者
渡辺瑞穂