投稿日:2022/05/03
2022年3月2日に始動した「バーチャル身体の祭典」は、日本の身体を世界に発信するデジタル・パフォーマンスと、人体データのアーカイブ実践プロジェクトです。川田十夢(AR三兄弟)の総合演出のもと、世界中どこからでも鑑賞できる舞台モデルを提示し、経験を宿した身体の価値を未来に伝えていきます。プロジェクトの始動にあたって、人体データをアーカイブし創造的に活用していくことの課題と可能性について、各分野の専門家にインタビューを行いました。
第二弾は、弁護士の水野祐氏へのインタビューです。
身体のデジタルデータは「誰」のものか?
——身体のデジタルデータは「誰」のものとなるのでしょうか?どういった権利に配慮していくと良いか、誰かの固有な身体の記憶が共有可能なデータになることの可能性と課題についてお伺いできればと思います。
水野:まず、法律の定義上、身体そのものは、著作権法第2条第1項第1号に定められた「思想又は感情」の「創作的な表現」ではないため著作物とはみなされません。そのため、著作権の保護範囲ではないと考えられます。ただし、身体は個人情報なので、その権利は個人情報保護法やプライバシー権の領域で守られることになります。また、著名人であれば、その容貌に対して発生する経済的な利益を保護するパブリシティー権が発生する可能性があります。一方、アート作品などの3Dデータについては、著作物とみなされると考えられます。
身体のモーションデータについては、まず、人間の「基本的な動作」には著作権は発生しません。しかし、その動作が「振付」に該当する場合は、その振付が創作的であれば著作物とみなされます。つまり、モーションデータが「振付」に当たると判断されれば保護されることになりますが、どこからが「振付」とみなされるのか、その判断基準はあいまいです。従って、モーションデータを扱う際は、それが著作物にも該当し得るという前提で許可をとっていく、というのが実務的な取り扱いになっていると思います。まずは著名人のモーションデータが撮られることが大多数だろうと思うので、「著作物かもしれないもの」「パブリシティー権の保護範囲にあるもの」という二つの観点から許可をとっていく必要があると思います。
ちなみに、パフォーマーの権利は「実演家の権利」として保護されます。つまり「著作隣接権」の範囲です。モーションデータの権利というのはまだあまり実務的な蓄積はない領域なのですが、基本的には映像で記録される時と同じ扱いで保護されると考えられます。映像と同様に考えるとなると、いわゆるワンチャンス主義※1の適用があるわけですが、本当に映像と同様に考えて良いのかの議論は今後必要になると思われます。
—— 例えば、左官屋さんなど、熟練の職人の技術のモーションデータなどはどうでしょうか?
水野:「熟練の技術」というのは、「表現」ではなく機能的なものなので、通常であれば著作物とはみなされません。従って、左官屋さんのモーションデータには「創作性はない」と考えられますが、ライブペインティングのように、左官屋さんの技術を創作的に見せることがないとも限りません。その点は、見せ方や説明で変わってくる可能性もあります。
—— 「地域のお祭り」のモーションデータを取得する場合、地域の中で集団的に継承される伝統は、著作権上はどのように考えられるでしょうか?
水野:地域の伝統芸能に関しては、古くから存在しているものであり、基本的には誰でも利用できるパブリックドメイン※2だと考えられます。「かつて振付をした人がいたかもしれないが、集団的に継承されて変化し、もともとの振付の権利は切れている」という考え方です。今後、新たなアレンジが加わり、加わった部分に「創作性がある」と考えられれば、その部分に著作権が発生する可能性はあります。踊り※3のような文化財として保護されているものについては、また別の制限が発生しているかもしれません。
「死者」の肖像権—デジタルレプリカの法と倫理
—— 畑中章宏さんへのインタビューではAI美空ひばりについての話題が出ました。そこでは、「川の流れのように」を歌っていた頃の晩年の美空ひばりが再現されました。晩年の姿を再現するのは遺影に近いとの指摘が畑中さんからもありましたが、もっと若い頃の「美空ひばり」を再現することもできたはずで、「3Dデータを残す」ということは「遺影として残す」ということとは違う意味合いがあります。アスリートなどは特に、身体機能が最も優れている時代の身体データを残したいかもしれません。こうした点については、水野さんはどう思われますか?
水野:AI美空ひばりについては、いまの視聴者にとって一番親しみ深いのが「晩年の姿」だったので、あの姿が選ばれたのでしょう。遺影についても、お葬式で「ずいぶん昔の写真だな」と思うときもありますよね。「もうちょっとあの時期の方が良かったのに」など、自身が持っていたイメージが違う場合があります。こうした場合は、本人の遺言でそうなった可能性もありますが、多くの場合は、家族や近親者にとっていちばん愛着があった時期の写真が遺影に選ばれているのだと思います。現代は、各時代の写真がある程度保存されていますし、写真を3Dデータ化する技術もあります。自己決定権的に、「遺影を自分で決められる」という時代になっていくことも考えられると思います。
—— ドナー登録のように自分で決められるといいですね。
水野:実は、「遺影をどうするか」「身体のデジタルデータを死後どう扱うか」ということは、遺言に意向を書いても、法的に担保されるスキームがありません。遺言において法的に効力が発生する範囲が、法律上、遺産のことなどに限定されているためです。3Dデータや写真の利活用については、遺言においては「付言事項」という扱いになることが多く、遺族が自由に決められる部分となっています。
肖像権は人格的な権利で、死者に「人格」はないとされるため、死亡すればその権利はなくなるとするのが現在の法律の基本的な考え方です。ただし、死者が冒涜された場合、法律で定められている権利ではありませんが、「遺族が悲しむ」という理由で遺族の権利として保護されるという判例は存在しています。「敬愛追慕の情」に対する侵害、という言い方がなされます。また、海外、例えばハリウッドのあるカリフォルニアには、州法で死者のパブリシティー権や肖像権を保護する法律があります。最近の事例で興味深いのはニューヨークの州法です。デジタルレプリカに一定の制限をかける法律がつくられ、既に施行されています。これはどちらかというと「誤認混同させない」ための制限です。死亡した実演家や有名人のためのもので、実際に出演していない作品の中に、死亡した人物のデータが出演した場合「デジタルレプリカ」と定義し、この「デジタルレプリカ」が許諾なしに作られた場合は「許諾がない」ことを明記しなければならないというルールです。つまり、AI美空ひばりのようなものを作ったとき、許諾なく「美空ひばりの新曲だ」と言って売っては駄目ということです。また、21_21 DESIGHN SITEで行われた『ルール?』展※4で紹介した韓国の事例で、「幼くして亡くなったお子さんと保護者がバーチャル空間上で出会う」という試みなどもあります。こうした事例は魅力的ですが倫理的には危うい部分もあります。
有名人のデジタルレプリカは財産的な価値があり、今後もエンターテインメントの世界で活用されていくでしょうが、公衆が求めないものはそもそも売れないでしょうから、法的にはいずれ落ち着き、公衆の目から見て倫理的に問題があると感じられるものは淘汰されていくと思います。法的に考えなければならないのは、一般の人のデジタルデータはどういう風に保護されるのかという点です。一般の人が身近な死者のデータをどう扱うかという点もありますが、生きている人間のデジタルデータを他者が再現してしまうこともあり得ます。例えば、ストーカーが勝手に好きな人を再現してしまう、などです。「仮想であれば自由」という考え方もあるかもしれませんが、私的領域とはいえ人格権侵害の度合いが大きい場合には、技術の進展とともに規制することを検討せざるを得ないと思います。
「改変OK」の可能性
—— 仮想空間上の企画で、3Dデータの取得・活用する場合の契約で留意すべきポイントを教えてください。アーティストやクリエイターだけでなく、伝統芸能を継承する方々や一般の方々との契約のポイントも教えてください。
水野:「著作権」の範疇ではなく、プライバシーや個人情報保護の領域ということはお話しした通りですが、技術的な解決策として「誰か分からないようにデータを改変する」という方法もあります。例えば、アイドルの事例では、人体データをそのまま使うと誰かわかってしまうので、敢えてデータを粗くして分からなくするといったことが行われています。また、データの悪用を防ぐために、公序良俗違反など禁止事項を規約に丁寧に書いておくことも、分かりやすい対応としては考えられます。
一方で、あまり制限をつけると使われなくなってしまいます。3Dの仮想空間では、3D素材が「利用者によって改変されること」が前提となっており、「改変禁止」がデフォルトであったこれまでのコンテンツとは考え方が異なっています。データを作った側にも使う側にも「改変できないデータは使いづらい」という考え方が共有されており、使う側からのボトムアップの関係が作られています。そうした意味で、今回のプロジェクトで作られた力士の3Dデータのようなものについても、改変できる範囲のありかたがポイントになるかもしれません。「祭り」のデータを「身体」というアプローチで残すというのは面白いですし、日本的なデータとして面白がられる可能性もあるので、アーカイブして他で利用される可能性が開かれているといいなと思います。
—— 変えたくない人と変えたいと思う人、それぞれのメンタリティの差が大きいなかで、どうバランスをとっていくかが大事だと思いました。
水野:徹底して「一切の改変NG」という考え方もあって良いと思いますが、バーチャルの世界は、逆の方向性、つまり「改変OK」になっていくでしょう。著作権の旧来的な考え方としては、改変は基本的にNGなのですが、メタバースなどのデジタル世界では、コンテンツの考え方が180度違ってくるように思います。
—— 今回モーションデータを取得した「加勢鳥」には保存会があり、老若の担い手の方がいらっしゃいます。最初に話を聞いた時は、「加勢鳥は、神様が降りてこないとあの動きができないから、東京のスタジオではできない」と言われていました。結果的には東京に担い手の方がおり、収録できることになりました。そして、それを川田(十夢)さんが作品にする際、加勢鳥を増幅させてみたり、違う動きを取り入れ、「外側は加勢鳥だが、動きはアオイヤマダ」というような表現ができたりしました。制作側としては、果たして大丈夫だろうかとやや不安に思い、保存会の方に確認を出したのですが、新たな表現を面白がっていただけとました。こちらが想定する垣根や限界を軽々と飛び越えていく感じがあり、最終的にはかなり実験性の高いコラボレーションに行き着くことができました。
水野:面白いですね! 文化財保護は一枚岩ではない、枝分かれがあるということですね。人間の性であり歴史でもありますが、「何らか変化していかないと残らない」というのもまた事実です。特に今の時代は、他者からアクセスされ、いじられないと、他の圧倒的なコンテンツの中に埋もれていってしまいます。変化や利用可能性に開かれていないと今後より厳しいだろうなと思います。
—— 伝統芸能は、現実にはなかなか変えにくい部分もありますが、バーチャル空間という全く違う場所であるからこそ、違うものと捉えられ、そこに改変の余地が生まれるということもあるのかも知れないと感じました。
水野:現在は、デジタル上で残すか残さないかの過渡期だと思います。いま残しておかないと、担い手がいなくなるとともに失われてしまうものが沢山出てくるでしょう。いまデジタルデータに切り替えられたものと、文字情報しか残されなかったものは、100年後、200年後に結果が分かれてくるという気はしています。
=注釈=
※1 ワンチャンス主義:実演家の著作隣接権の一つである録音権・録画権について、通常は、実演を録音または録画する権利は実演家が専有するものとされるが、映画等の製作時に自分の実演を録音・録画することを了解した場合には、以後その実演を利用することについて原則として権利が及ばないとする主義のこと。
※2 パブリックドメイン:著作物や発明などの知的創作物について、知的財産権が発生していない状態または消滅した状態のことをいう。
※3 郡上踊り(ぐじょうおどり):、岐阜県郡上市八幡町。日本三大盆踊り、三大民謡(郡上節)に数えられる。1996年に重要無形民俗文化財に指定。
※4 『ルール?』展:2021年に21_21 DESIGHN SITEで行われた展覧会。水野氏は展覧会ディレクターチームの一員として本展に関わった。
インタビュアー:金森香(「バーチャル身体の祭典」プロデューサー/ THEATRE for ALL ディレクター)
ライター:西田祥子(合同会社ARTLOGY)
水野祐(みずの・たすく)
法律家。弁護士(シティライツ法律事務所)。Creative Commons Japan理事。Arts and Law理事。九州大学グローバルイノベーションセンター客員教授。慶應義塾大学SFC非常勤講師。note株式会社などの社外役員。
著作に『法のデザイン −創造性とイノベーションは法によって加速する』、
共著に『オープンデザイン参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」』など。
バーチャル身体の祭典 VIRTUAL NIPPON COLOSSEUM
日本の身体を世界に発信するデジタル・パフォーマンスと、人体データのアーカイブ実践プロジェクトが始動!川田十夢(AR三兄弟)が、世界中どこからでも鑑賞できる舞台モデルを提示し、経験を宿した身体の価値を未来に伝える。
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