投稿日:2024/01/12
THEATRE for ALL LAB、LAB編集部のミノです。舞台や映画を観ることは大好きですが、それ以上に、そこから得た体験や面白さを他の人と共有することに魅せられています。共有・共同の体験を広げていく方法を、これから見つけていきたいです。
さて、そんな私はTHEATRE for ALLの活動が始まって以降、「ALLって、何なんだ?」と、考え続ける日々を送っています。分からないことが盛り沢山なため、論文を読んだり、ワークショップに参加したり、様々な方にインタビューを行ったり。すると「あら、こんな考え方や、やり方があるのか」と、発見と驚きがザックザックと出てきます。正解というものがないこと故に、より多くの考え方や方法を知ることが何より重要だと思います。THEATRE for ALL LABで知り得た情報を共有することで、多くの人が考え、行動に移すきっかけとなると嬉しいです。
「100の回路」シリーズとは?
回路という言葉は「アクセシビリティ」のメタファとして用いています。劇場へのアクセシビリティを増やしたい我々の活動とは、劇場(上演の場、作品、そこに巻き起こる様々なこと)を球体に見立てたとして、その球体に繋がる道があらゆる方向から伸びているような状態。いろんな人が劇場にアクセスしてこれるような道、回路を増やしていく活動であると言えます。様々な身体感覚・環境・価値観、立場の方へのインタビューから、人と劇場をつなぐヒントとなるような視点を、“まずは100個”収集することを目指してお届けしていきたいと思っています。
今回は、映像のバリアフリー化に取り組む、Palabra株式会社代表取締役の山上庄子さんにインタビューを行いました。視覚や聴覚に障害がある方に、映画が持つ輝きを失うことなく届けるためには、どんなことが必要なのでしょうか?画や音の橋渡しをするバリアフリーガイドの制作から、私たちに欠けていたアクセシビリティのヒントが見えてきました。
山上 庄子(やまがみ しょうこ)
1983年神奈川県生まれ。両親が映画の仕事をしていたことから、生まれ育った環境には常に映画が身近なものとしてあった。中学生の頃から農業や環境問題に興味をもち、ご縁のあった山形県高畠に通い続けた末、東京農業大学国際農業開発学科へ入学。在学中は下高井戸シネマで映画館スタッフとして働く。向後元彦さんの「緑の冒険」を読み、マングローブという植物やその生態系、さらにはそこに暮らす人々の暮らしや文化に興味をもち、大学卒業後は沖縄へ移り住みNPO法人国際マングローブ生態系協会で研究員として7年間働く。マングローブや環境問題に関する外国人向け研修のコーディネーター、またモルディブやキリバスなどでマングローブ植林事業に携わる。2011年東京へ戻り、Palabra(パラブラ)株式会社の立ち上げに携わる。動画教室事業や字幕制作部門を担当した後、2017年より代表取締役に就任。
農業も映画も、生きていくなかで大切にしたいもの
現在、映画の分野で活動を続ける山上さんですが、そのルーツを探ると、意外なことに農業にたどり着きます。
山上さんの農業との出会いは中学生の頃。お世話になっていた方を山形県の高畠に訪ねたことから始まります。高畠は、有機農業が盛んな地域です。農業を主体とした高畠での自給自足の生活に、山上さんは、たちまち魅せられ、10年以上も、休みがあれば東京から山形に通う生活をされていました。大学卒業後は沖縄に移り住み、NPO法人でマングローブの研究員として働き、マングローブや環境問題に関する外国人向け研修のコーディネーター、モルディブやキリバス等の海外での植林事業に携わります。
「食べることも大好きなんですけど、その食べ物を自分で作ることができるのはとてもカッコいいなと思いました。農業はそれが仕事かどうかということ以前に、自分の生活の中で大切にしていきたいと思っているもの。映画も農業と同じように、身近で大好きなものだったんです」
ご実家が映画の製作・配給をされていたこともあり、もともと文化芸術全般が大好きだったという山上さん。沖縄から東京に帰ってきた時に、映画に関わる仕事を選ぶことに、迷いはなかったそうです。「自分が生きていく上で大事にし続けたいもの」農業と映画、山上さんにとって両者は地続きの存在のようです。
映画のバリアフリー化をスタンダードにするために「株式会社化が重要だと思った」
山上さんが代表を勤められているPalabra株式会社は、映画のバリアフリー化を行なっています。バリアフリー化とは、字幕、音声ガイド、多言語字幕、手話映像等を用いて、映画や映像を多くの人が安心して楽しめるようにすることです。
代表的なバリアフリーガイド
【バリアフリー字幕】
映像作品の「音」が伝えている情報を文字で表現したものです。翻訳字幕と違い、セリフだけでなく、話者名や音情報、音楽情報など耳で聞こえる音声情報を文字化します。
【音声ガイド】
映像作品の「画」が伝えている情報を言葉で説明したナレーションのことです。美術館や歌舞伎の音声ガイドとは異なり、映画の場面や人物の動きなど、目から入る情報を言葉で説明します。
この分野に出会った10年ほど前は、公式で作られた字幕や音声ガイドは、数えるほどしかない状況でした。実家の映画製作配給会社では早くから映画をバリアフリー化する動きがあり、多くの方へ作品を届けたいという考えは、山上さんにとってはごく自然なことでした。また、本来であれば映画側が準備すべき字幕や音声ガイドがボランティア中心に支えられ、作品とは別のところで扱われている状況には違和感がありました。
「自分が字幕や音声ガイド付きで映画を観るのなら、洋画の翻訳字幕のように、映画製作者がきちんと認めた公式なもの、翻訳のプロによって作成されたものが良い」
映画のバリアフリー化の会社が”株式会社でプロの仕事として、世の中で当たり前に必要な仕事”として認知されるようにならないと、本当の意味でバリアフリーがスタンダードになっていかない。
そして、そのガイドは監督やプロデューサーの意図をちゃんと届けられるものでなくてはならない。そう考えた山上さんは、
―字幕や音声ガイドを利用する当事者がどんなガイドを希求しているかという「当事者性」
―映画の本質を壊さない、映画に寄りそった「作品性」
―「当事者性」と「作品性」をきちんと理解しバランスをとる「プロによる仕事」
この3点を会社の柱に据えて、Palabraの事業を始めます。
「音がない」状態を言葉でどのように表す? バリアフリー字幕の面白さ
バリアフリーガイドの作成は「画」や「音」を言語化していく作業になります。洋画の翻訳字幕と違うのは「音が聞こえるかどうかで生じる受け取り方の違いを、埋めていくための言葉づくりが必要になる」という点です。会社によって制作ルールは違うそうですが、Palabraのこだわりは、細かなニュアンス、方言、俳優さんのニュアンスなどを標準語に変えず、その人らしさをうまく調整しながら残す方法を考えることだとおっしゃっていました。
作成時には、よく、「無音のシーン」をいかに字幕にするかということが問題になるそうです。演出としての無音に対して、「無音」という字幕をつける会社も多くあります。
「例えばですけど、無音なシーンって無音であることを伝えたいというよりは、音の変化によって感情が高ぶったり変化することを狙った演出だったりすることもありまよねすよね。前後に大きな喧騒がある中で、パッと音がなくなったときに無音ができる。前後の”喧騒”について説明したあとに、表情を見せるためにあえて、「無音」と字幕に書かなくても演出の意図を表現できることもありますし、むしろ「無音」が邪魔になることもあると思います」
「主人公の顔が映っていて、彼女のなかの心境の変化で、物理的に周囲の音がなくなるわけではないけど、彼女の中ではだんだん音が聞こえなくなっていった場合。“音が消える”ではなく、”周囲の音が遠ざかっていく”という字幕がつくのかもしれない」
聞こえていて見えている私たちの中でおこっている身体の感覚を、いかに見えない人聞こえない人にも体験してもらえるか。映画にとって、「音」は大きな存在感を持ちます。だからこそ、「無音である」という状態がいったいどうすれば「伝わっていることになるのか?」。
どんなバリアフリーガイドを作るかによって、映画の捉え方は全く違ったものになるのです。「バリアフリーガイド制作には作品を読み取る力が必要」と山上さんは言います。
「10年かけてつくってきたドキュメンタリー映画の字幕や音声ガイドをつくるとしたら、その作品の奥行きは、当然字幕や音声ガイドにも表れていきます。作品に寄り添いながら、音や空気、そういう総合的なものをいかに表現するかが大事です」
そう話す山上さんの言葉からは、「画」を画、「音」を音として変換するのではなく、「映画作品」として翻訳し、届けるガイド作成という仕事の重要性を感じました。
回路44
映画のガイド作成の肝は、目には見えないもの、耳では聞こえないものまで読みとること
最終的なガイドは1通りだけど、感じ方は人の数だけある。バリアフリー検討会の重要性
Palabraでは、作成したバリアフリーガイドを障害当事者、映画の製作側の立場である監督やプロデューサー、そしてガイド制作者、の3者で検討する「モニター検討会」を行っています。
ガイドをつけた映画を、障害当事者、映画製作者の方に見てもらい、当事者にはどこが分かりにくく、ストレスを感じたか、製作者には演出意図に沿った内容になっているか等、意見を出し合ってもらうための場です。
検討会はガイドの全てを決定したり、結論を出すための場ではなく、感じたことを忌憚なく出し切ってもらった上で、字幕やガイド制作者がその意見を持ち帰り、最終的なブラッシュアップを行う際の参考にするのだそうです。
「全く正反対の意見も出てくる。まずはその率直な感想を出しきってもらうことを目的としています。結論出すことをしてしまうと、意見が出てこなくなるので、全部を叶えることが目的ではないという前提」
この映画を多くの方に見てもらうために最終的にどういう選択をするのかというバランスを整えるために行なっているのがモニター検討会なんです。
視覚・聴覚に障害があるといっても、先天的なものなのか後天的なものなのかによって違いがあったり、それぞれの方によって心地よい表現は違います。
例えば、生まれた時から耳が聞こえないろうの方で、音楽に触れた経験がない場合、多くの情報が表示されると逆にイメージがしづらくなり、さらっとした情報量少なめの字幕を好まれる傾向があったりします。一方で、途中から耳が聞こえなくなった方や難聴の方は、音の存在は分かるのに、その正体が何だか分からないことが気になってしまうため、演出的に重要でない音でも情報多めの字幕を求められる傾向にあるそうです。
万人の好みに合わせたバリアフリーガイドをつくることは不可能で、なるべく多くの人にストレスなく見ていただけるガイドにすることは、ガイド制作者にとって一番の腕の見せどころどころです! 「作品によってはもっと様々な種類のガイドを付けたいなと思うこともあります」と山上さんもおっしゃっていました。
バリアフリーガイドの最終決定は映画製作側によって行われますが、多くの場合は、出来るだけ多くの人にとってストレスにならない形、最大公約数(総合的にバランスをとる意味で)的な考え方で作っていくことが多いと話されていました。
回路45
受け取り方が違うことは前提。正解はなくても、対話し、バランスをみていくことが重要
モニター検討会は、ガイド作成の指針を得るために始まりましたが、それだけに止まらず、映画を作成した監督やプロデューサーに驚きや発見をもたらすことも多いのだそうです。
- 「沢山の人に届けたいと思っていたけれど、実は届けられていなかったことに気が付いた。今後は自分が撮影した映画には、必ずガイドを付けるようにしたい」
- 「この映画で何を見せたかったのかという問題に突き戻された」
参考:https://palabra-i.co.jp/works/
これまで映画を作ってきた中で想定していた鑑賞者だけではない、多様な身体を持った鑑賞者との対話の中で、自らの作品を伝えるということはどういうことなのか、作った作品がどういうものなのかといったことを問い直す機会を得られる。それは作品を作る人にとってもとても面白い経験となっているようです。
回路46
映画バリアフリー化の過程で、製作者にも自分の作品について驚きや発見があるかもしれない
Palabraの仕事は「福祉の支援」ではなく、映画を届けるために映画についてとことん考えていく、映画好きにはたまらない仕事
Palabraの仕事は、映画のことをとことん考える、映画好きにはたまらない仕事だと、山上さんは言います。
「福祉の分野では、命に関わることが優先されるし、それは大前提のこと。でも、コロナの中で、映画や文学やアートから力をもらっている人もたくさんいる。命に関わることではないかもしれないけど、こういう時だからこそ娯楽やエンタメが後回しではなく、むしろどんどん広げていきたい!って思います」
また最近は、映画のバリアフリー化だけではなく、バリアフリーのコンサルティングが仕事として多くなってきているそう。
「エンタメの中身だけではなくて、交通手段、チケットの入手方法といった周辺のことについてもバリアフリー化が進んでいないと、結局見に行けないという人が出てきてしまう。作品そのものだけではなく、そこにアクセスするまでのアクセシビリティの向上はとても重要です」
私たちが進めているTHEATRE for ALLでは、Palabra株式会社様にパートナーとしてアクセシビリティの監修をしていただいています。作品のバリアフリー化、作品に至るまでの導線のバリアフリー化、その両方あってこその劇場、パフォーミングアーツへのアクセシビリティ向上だと改めて思いました。山上さんにもご意見、ご助力いただきながら、良い場作りができるように頑張らねばという思いを新たにしました。
回路47
エンタメの中身だけバリアフリー化しても、作品に到達するまでのバリアフリー化が進まないと鑑賞に至らない人がまだまだたくさんいる
おわりに
山上さんへのインタビュー後、私はテレビ画面の音を消してみて、この番組のストーリーを伝えるためには、どんなガイドを付ければ良いだろうと、自分なりのガイド作成を試みました。
すると、テレビ番組の世界にさらに深く入り込んで、このストーリーにはこんな意味合いが隠されていたのかと、今まで見えていなかった面白さを炙り出すことが出来ました。
欠けているからこそもたらされるもの。障害は、欠損しているのではなく、違ったものを持つことなんだと思います。
そして、その「自分が持つものとは違うもの」について思いを巡らせることは、大変面白かったりします。(この面白さが、山上さんが話をされた「豊かさ」なのかもしれません)
「面白い」「楽しい」といった感情は、万人共通で、そこに至るまでのプロセスをより沢山持つことは、誰にとっても嬉しいことです。
Palabraの活動は、障害を持つ方だけでなく、私たちにも、「面白さ」「楽しさ」への道筋を広げてくれているように感じました。
執筆者
箕浦萌
色彩学を学ぶ。人によって、色の捉え方は様々。自分が見ているトマトの赤を、隣人も同じ赤色として見ているのか、正直、確かめようがない。その不思議さを解明しようと「伝える」ということをキーワードに、ギャラリーやデザイン会社、出版社を転々とし、現在THEATRE for ALL LABLAB研究員として、伝える方法を模索中。
※本記事は、2020年12月に取材執筆を行いました。記載されている情報は執筆時点のものとなります。