Q 編集、対話、ワークショップの現場。「違い」から考える、無数のからだとコミュニケーションの面白さとは?

正解のないものを身体、多様な視点で考えたい。

私は、precogという会社の中では、アクセシビリティ事業やTHEATRE for ALLというメディアの編集長として活動をしています。知らない土地を訪れて、価値観の違う人に出会うこと。取材が大好きで、説明し難い言葉にしづらいことを言葉にしたり、様々な立場の人同士で共有するための方法を探ったり、対話の場をファシリテーションすることを楽しみに生きてきた私にとって、THEATRE for ALLというメディアやそこにまつわる活動は、ライフワークそのものになりました。THEATRE for ALLというメディアの草創期に立ち上げた記事シリーズ「100の回路」では、アートと福祉を結ぶ、100の視点を収集してみようというテーマで30人の方に取材を行いました。

ポリフォニックな価値観で、異なる身体が響きあう。室町時代の河原フェス

少し個人的な話ですが、わたしは、幼少期、児童劇団(若草物語とかくるみ割り人形とかやってました)に所属し、トレーニングを受けていました。しかし(おデブで鈍臭かったこともありますが)ミュージカルの演技メソッドにあまり馴染みきれず。その後、2浪した大学で出会った能楽という古典芸能の身体にめちゃくちゃしっくりきて、その虜になってしまったのでした。お能は、お芝居の一種であるとは言いますが、表情ではなくて仮面を使いますし、型の訓練、滅私し、呼吸や間合いをコントロールするトレーニングをひたすら続けていきます。幼少期に学んだ、お芝居とは全く違った価値観、文化、メソッドを学ぶことに没入し、毎日早朝から夜中まで(単位を落としながら)お稽古した大学時代でした。そもそも男性の身体をベースとしてできた芸能であるため、女の身体を持つ自分がどのようにこの技能に向き合うか? などジェンダーと芸能の関係について考えたり、民俗学的な視点にも興味惹かれて、なぜ芸能が必要なんだろう? 歌ったり踊ったりするのはなぜだろう? といったことに思い巡らせてきました。

紫陽花が咲き乱れる寺院の桟橋で鼓と謡を奉納している写真

また、お能は、屋外や庭が劇場になって、酒を交わし、うたったり、舞を舞って、祝福や弔いの感覚を共有する芸能、神事に起源のある演劇だと言われます。お能のスタートアップ期? 中世の世界観では、障害のある人も、外国からやってきた人も、その土地の人も、流浪してきた人も、互いに「異形」であることが前提になっていて、音楽や踊りを通じてひと時を共有するような芝居の場があったと言います。ソーシャルインクルージョンという言葉があるけれど、そのカオスで雑多で多様な身体と価値の入り乱れた芸能の河原には、きっと様々な身体を前提としたコミュニケーションや物語があったのだろうと思います。そんな世界観に憧れてパフォーマンスをしているわたしは、櫓が立ち並び異形の芸能者に溢れる中世の河原の光景と、シアターフォーオールを少し重ねていたりします。江戸時代の風俗画、四条河原遊学図屏風には、鴨川の周りには沢山の芝居小屋や舞台が並び、お酒を飲んだりご飯を食べたりしながら、珍しい多種多様な芸能を人々が楽しむ様子が描かれています。

古典芸能も現代の演劇も、ひとくちにパフォーミングアーツと括ってしまうけれども、どのような感覚を受け手と演者が共有し、どのようなコミュニケーションをとるのかといったことが無限に存在している。時には、言語もいらず、身体で直感的に人と繋がり、コミュニケーションをとることができる。ある意味、身体だから繋がれる。そんな舞台芸術のあり方が大好きなわたしにとって、作り手、演じ手としても、観客としても、TfAというプロジェクトは発見と刺激の連続です。様々な身体が無理やり混ざるというよりは、身体が違うことを前提に共存する方法を探っていきたい。そこに互いに発見があって楽しい。その面白さを共有していく仲間を増やしていくために、「言葉」を用いて、内外の事業を取材をし、言語化し、様々な方法で広げていく、語り合っていくためのデザインに力を入れていきたいと考えています。

執筆者プロフィール

  • 篠田栞
    チーフ・プロデューサー/チーフ・エディター
    1990年、奈良生まれ。広告業界等を経て独立。編集ライター、企画者として企業広報等に携わり、2024年4月よりprecogのTHEATRE for ALL事業部チーフに就任。一方、幼少期より演劇の舞台に立ち、京都大学在学時に出会った能の身体性にひかれ、国内外でパフォーマンスやリサーチを行う。ままならない身体と共に生きる難しさと面白さ、自然と人との関係性への興味から、食薬文化を学び、薬膳の活動も志す。