投稿日:2023/12/19
舞台芸術のアーカイブ事業を行うEPADとTHEATRE for ALLは、鑑賞のバリアを取り除き、劇場体験を広げるために、協働事業に取り組んでいます。前編に引き続き、「東京芸術祭2023」のプログラムのひとつとして開催されたユニバーサル上映会の様子をお伝えするレポート後編をお届けします。
カーテンをひく音は「ざらざら」なのか? ー『綿子はもつれる』の字幕をめぐって
10月14日には、加藤拓也さんが作・演出を手がける「た組」が2023年5月に行った『綿子はもつれる』が上映されました。綿子と悟という冷え切った関係の夫婦が、綿子とその不倫相手の間に起きたある出来事をきっかけに夫婦関係の再構築を始めるさまを描いた物語です。
会話劇が展開される舞台空間のポイントになっていたのは、寝室とリビングを仕切る大きなカーテン。奇妙なノイズと共に開け閉めされて場面を変える役割を果たしており、このカーテンをめぐる演出が、上演後の参加型トークのトピックの一つとなりました。
この日のゲストは俳優の関場理生さんとパフォーマー/アーティストの南雲麻衣さん。
まず、聴覚障害のある南雲さんから、「カーテンが動くときのノイズの字幕が『ざらざらした音』となっていたが聞こえる人のイメージと合っているのか?」という質問が投げかけられました。関場さんは「擬音で表現すると、ざざざざ、の方が近い」とコメントしながら、「音を聴いた時に呼び起こされる感情や感覚を伝えたかったのではないか?」と推察。来場者からは「雨の音のように聞こえて、不安になるような音だった」というような声も寄せられました。ドキュメンタリー映画監督の山田礼於さんも客席から議論に参加し、「字幕や音声ガイドには踏み込んだ表現がもっとあってもいいのではないか」という意見も出ました。字幕作成を担当した舞台ナビLAMPの松田さんからはアーティストからの指定で最終的にこの言葉になったというエピソードが紹介され、文学的な表現として「ざらざら」が選び取られたのではないかという話に展開しました。このように一つの言語表現だけでも、作品を作った側の意図と鑑賞した側の受け止め方に違いがあることが場内に共有され、意見を交わすことの重要さが伝わってきました。
『ムサシ』は演出家・蜷川幸雄さんの七回忌追悼公演として2021年に行われた公演の収録映像。有名な「巌流島の決闘」から六年後。鎌倉のある寺で再会した宮本武蔵と佐々木小次郎が再び剣を交えようとするところから始まります。物語の根幹には「復讐の連鎖を断ち切る」というテーマがあり、今まさに世界のなかで紛争や虐殺が起こっているという現状と重なりあっていました。
10月20日のトークゲストは、ろう者中心の芸能プロダクションサンドプラスなどで活躍する俳優の今井彰人さんと、「バリアフリー演劇結社ばっかりばっかり(以下、「ばっかりばっかり)」の制作でもあり、自らも舞台に立つ美月めぐみさん。豊富な舞台経験を持つお二人からは、当事者の視点に立ったクリエーションについてお話しいただきました。
まず、今井さんは手話を第一言語とするろう者であり、日本語は第二言語であるというお話からスタート。江戸時代が舞台の『ムサシ』には、聞き慣れない単語が出てくることも多く、日本語の字幕が流れる速さに追いつけなかったり日本語のダジャレや俳優の声色で魅せるコミカルな場面で、その面白さを十分に受け取れなかった、といったお話がありました。そして、今後に向けては、日本語で書かれた脚本を手話に翻訳するだけでなく、脚本作りの段階からろう・難聴者も交えてクリエーションすることができれば、よりいっそう聞こえる人と聞こえない人が共に楽しめる演目がつくれるのではないか、というアイデアも出ました。
いっぽう、音声ガイドの作成などにも携わる美月さんからは、劇場内の響きがそのままに録音・再現された音だからか、やや聞き取りづらい部分があったというお話が出ました。上映時に台詞を聞き分けやすくするためには、俳優の声質に合わせた録音や整音作業が必要だということでした。また、美月さんの劇団では、無音の時間を作らないなどの工夫で、目が見えない人でもガイドなしに鑑賞できるようにしているそう。こうした演出上の工夫が、鑑賞時のバリアを取り除く鍵になっていることもわかりました。
公演をバリアフリーにするためには、脚本、演出、収録など、作品のクリエーションや発表までの各段階に工夫の余地があり、まだまだやるべきことがあると気づかされました。
みんなが使ったらいいんじゃない?―「選べる」バリアフリーに向けて
10月21日のゲストは、この期間中の参加型トーク全体について企画協力いただいた、ブラインドコミュニケーターの石井健介さんと、手話パフォーマーのNyankoさん。この日は石井さんのファシリテーションで、オンラインツールなどに寄せられる来場者の感想やコメントを積極的に取り入れながらトークが進みました。会場全体からの反応を求める場面では「手を挙げて拍手してください」と、目が見えない人にも耳が聞こえない人にもわかるように合図を送ってもらうなど、石井さんならではの工夫が随所に見られました。
ここでわかってきたのは、鑑賞サポートが、健常者として暮らす人にとっても助けになるということ。近くにいた方が使っていた字幕タブレットを横目に見ながら作品を鑑賞したという来場者からは、「難しい言葉や早口で聞き取れない台詞もあったので字幕があって助かった」というコメントも寄せられました。
また、音声ガイドでは作品の背景や登場人物の事前説明があったのに対し、字幕ではその解説がなかったり、逆に舞台上で見えていた動きに関して音声ガイドでは説明がされていなかった、などの話題も出ました。大画面で上映されてはじめて見えた細部の表現があったこともわかり、上映会という場で感想が共有されることの醍醐味が味わえました。
演劇を見るとき、どのくらいの情報を必要とするかは、人によってさまざまです。障害がある場合には鑑賞の補助手段としての必要性という点もありますが、それだけではなく、ひとりひとりの興味や知識の幅、好みによっても違います。誰もが自分なりの作品の楽しみ方を作り上げていくために、鑑賞サポートの普及と認知が行き届き、障害の有無を超えて情報が必要な人に行き渡る状況を作ることが重要だと改めて強く感じました。
バリエーションって大切―参加者の声から
また、このバリアフリー上映会では、今後の企画の改善に向けた感想やご意見を聴きたいという思いから、障害当事者の方の一部に鑑賞モニターを募集。作品をご覧いただき、アンケートに答えていただきました。
「見たかった舞台を見ることができて嬉しい」といったコメントや、「サポートが助けになり、楽しむことができた」という前向きなご意見もいただく一方、見えてきたのは、鑑賞サポートのある公演の数自体がまだまだ少なく、選択肢の幅が少ないということ。そして、鑑賞サポートの表現上の工夫によって、体験の質を高めることができるのではないかということです。「字幕の色やフォントを変えるとよいのではないか」「好きな手話弁士を選んで鑑賞できるようになるといい」といった具体的なアイデアの提案もあったほか、「バリアフリー上映会だからこそ、車いすでも真ん中の席で見られるようになるといい」など、「バリアフリー」を掲げるからこそ生まれる期待についてもご意見をいただき、あらゆる人が自分らしい楽しみかたを選び取れるようになるためのヒントを多くいただきました。
現場を通して「ともにある」ことを知る
「私としては、障害者という見えない立場で普通に街の中に溶け込んでいるんだよ、そういう人間がいるんだよ、っていうことも伝えていきたい。」
これは、10月20日のゲストだった美月めぐみさんの言葉です。
今回のバリアフリー上映会は、さまざまな特性の身体を持つ人々とともにこの社会はあるのだということを、健常者として生活する人にも伝えるきっかけとなっていました。
それは、鑑賞者にとってだけではなく、事務局や舞台監督、音響や照明などのテクニカルチーム、劇場のレセプショニストなど現場を運営する人々にとってもそうでした。障害のある人がともに存在する場をつくる。それを意識することで、知らず知らずのうちに健常者の目線だけでつくられてしまっている「現場の常識」を問い直しながら、ひとつひとつのプロセスを見直し、日々対応するという流れが生まれていました。
ユニバーサル上映会は、作品をこれまで受け取ることが難しかった人にむけて開く機会となるだけでなく、ひとりひとりが自分なりの作品の味わい方を見つけてもらうこと、そしてバリアをなくす目指し協働できる現場づくりの最初のステップにもなったように思います。
こうした小さな成果を育みながら、THEATRE for ALLでは、今後も取り組みを続けていきます。
THEATRE for ALLでは、本事業による新たにバリアフリー対応した上演映像全9作品が、1月末より配信予定です。ぜひご覧ください。
EPAD x THEATRE for ALL とは?
EPADによる上演作品のアーカイブ事業と、バリアフリーな劇場体験を目指す「THEATRE for ALL」が力を合わせて、視覚や聴覚に障害がある方や、さまざまな理由で劇場に行きづらいと感じる方へ向けて鑑賞機会を届ける取組です。舞台芸術の価値ある財産を活かして、鑑賞体験を広げ、その魅力を伝えます。
主催:一般社団法人EPAD
記事制作:THEATRE for ALL(株式会社precog)
文化庁文化芸術振興費補助金(統括団体による文化芸術需要回復・地域活性化事業(アートキャラバン2))|独立行政法人日本芸術文化振興会
執筆:西田祥子
撮影:宮田真理子・須藤崇規
構成・編集協力:金森香
編集:篠田栞