投稿日:2021/08/10
舞台上の5人の出演者が語る「性の物語」を通して会場の観客も含めた多様な生を肯定する場を作り出したTrue Colors DIALOGUEママリアン・ダイビング・リフレックス/ダレン・オドネル『私がこれまでに体験したセックスのすべて』。多様な個性と背景を持つ人たちが共につくる「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭-」の一環として上演された本作では、公演全体としても「多様な生の肯定」を実践すべく、様々な鑑賞サポートを提供していた。なかでも、出演者たちの「分身」として舞台に立った3人の舞台手話通訳者たちは「多様な生の肯定」を体現する存在として手話通訳を必要としない観客にも強いインパクトを残した。本作の手話通訳はどのようにして実現したのか。手話通訳チームからTA-net(シアター・アクセシビリティ・ネットワーク)理事長の廣川麻子、本作の手話監修を担当した河合祐三子、手話通訳者の橋本一郎、加藤裕子に聞いた。
舞台手話通訳という存在
廣川 舞台手話通訳という存在は日本ではまだ馴染みがないと思うんですけど、イギリスやアメリカではもう20年以上前から活躍しています。私は現地でそれを見て、日本の舞台にも手話通訳を同じようにつけたいと思ったんです。それで、日本財団の補助金を使って2年間、TA-netで舞台手話通訳の養成講座を開きました。
一般の手話通訳の養成カリキュラムでは演劇の表現や通訳の仕方というのは教えていないんですね。セリフを聞いてその場ですぐに内容を表現していくのではタイミングの問題などもあって聾のお客様に伝わりにくくなってしまいます。だから、舞台手話通訳は事前に台本をきちんと読んで内容をつかんだ上で、きちんとそれを手話に翻訳していく必要がある。俳優の話すスピードや雰囲気、気持ちなども含めてしっかり翻訳することが大事ですが、それには専門的な訓練が必要になります。アメリカやイギリスでも舞台手話通訳には専門の養成プログラムがあるので、それらを参考にして日本でも講座を開きました。
—— 日本では舞台の手話通訳はどの程度普及しているのでしょうか。
廣川 幸いなことに、TA-netでもこれまでいくつか舞台手話通訳の機会をいただいてきました。ただ、これまでは何日かある公演のうち1日だけ手話通訳をつけるというようなケースが多かったんです。でも今回は全公演に手話通訳がついていたので、公演が終わるたびに手話監修者と協議して修正を加えていくことができました。一般の公演でも俳優の演技が変わっていくことがありますよね。それと同じように手話通訳も回を重ねることでどんどんよくなっていくという流れが今回できたのはとてもよかったと思います。
聾者と聴者の協働作業
—— 出演する手話通訳者はどのように決まったんでしょうか。
廣川 今回の通訳者のうち橋本はプリコグからの依頼で、他の2人の女性通訳者についてはTA-netで養成講座を受けた人のなかから募集をかけて決めました。手話通訳では通訳者の手話表現と通訳される本人が持っている雰囲気が合っていることが大事になります。出演者さんの雰囲気に合う舞台手話通訳者をこちらから選んで出すというのが本当は一番いいんですけど、そもそも舞台手話通訳者の人数自体が少ない状況ではなかなかそうもいかず。
河合 実は今回、稽古を進めるうちにこの人にはイメージが合わないなあということになって手話通訳者と出演者さんの組み合わせを途中で入れ替えたんです。Zoomで稽古を重ねていたんですが、それでは出演者さんの雰囲気が十分にわからない部分があって。彼女たちは途中で変更になってしまって大変だったと思いますが、本当に頑張ってくれましたし、最終的に雰囲気もうまく伝えられていたと思います。
橋本 やっぱり雰囲気とかニュアンスのすり合わせとそれをどううまく表現するのかというところが一番難しいんです。「いいね」の一言でも聞こえる人たちにとっては声の強弱や高低でいろいろなニュアンスがあるわけですよね。文字ではそれは伝わらないけど、手話だったらそういう部分も表現できるしそこまで表現しないといけない。だからこそ、出演者さんの言い方次第で自然とステージごとに手話表現も変わってきたりします。
今回、京都に行ってはじめて出演者さんとお会いして、彼らのストーリーを生で聞くなかで、すごく大切な話をしてくれているんだからちゃんと訳したいと思うようになっていったんですね。何しろすごく素敵な人たちだったので、その素敵さをちゃんと伝えたかった。だから、監修のおふたりにも見てもらって、表現を工夫しつつ、出演者さんにも細かくニュアンスを確認して手話表現を作っていきました。
たとえば、「死ねー!」って叫ぶ場面を僕は最初、呪文みたいな感じでやってたんです。でも、改めて聞いてみたらその「死ねー!」は同級生に色々言われた悔しさをぶつけた「死ねー!」だった。それだったらこういう表現の方がいいかなとか。そういうプロセスを踏むことができたのは今回とても大きかったです。
—— 今回の上演は出演者さんたちが手にした台本を読み上げるという形式でした。どの程度のニュアンスを手話として表現するのかというのは難しいポイントだったのではないかと思います。
橋本 演出のダレンからはあんまり感情を込めすぎないで読んでほしいとか、あえて気持ちを加えないみたいな演出が出ていたんですね。その部分は見ている人たちに想像してもらうかたちにならないといけない。そのバランスはやっぱり難しかったです。加えないと伝わらないことはあるんですけど、加えすぎてしまってもダメ。それを聾の人に監修してもらえるというのはすごく重要です。手話通訳が聞こえる人の自己満足になってしまっていることもあるので……。
セリフにない部分を手話通訳で加えた例としては、「もっと自分を大切にしないといけないよ」って言われる場面でうなずく仕草を加えたんです。セリフでは特に返事はしてないんですけど、聞こえる人には言葉のあとの沈黙で伝わるものがある。でもそれを聞こえない人にも伝えるためにはうなずく仕草が必要だった。動作に強く感情を込めるみたいなことはしませんでしたけど、それがあることで動作の間も感情を伝えることになる。それがあるのとないのとでは雲泥の差です。
廣川 そういう部分も含めて、演劇の台本を読める人が監修をするということが大事ですね。監修のおふたりは俳優として活動したりと、演劇の経験が長い方だからこそそういう監修ができるんです。
橋本 監修をしてもらいつつ、こちらからは声の雰囲気とか聞こえるからわかることを伝えて、それをどうやって表現するのかということを相談して。舞台でやってみたらやっぱりちょっと違うかもみたいになってまた考えて。そうやって聾者と聴者で一緒に考えて工夫できたのはすごくうれしかったです。
雰囲気を共有する〜音楽をどう表現するか
廣川 音楽をどう表現するかも難しいところでした。字幕に歌詞を入れるのか省いてもよいのか。どんな曲が流れているのかの情報は必要だということで、曲のリストは配布することになりましたけど、今回の作品では、歌詞の内容を伝えたいのではなく、その時代の曲だということがわかればいいという演出の意向で、歌詞は省略することに同意しました。その代わりではないですけど、曲が流れている雰囲気を共有するために手話通訳に振付を入れることにしたんです。
橋本 今日の客席でも、曲が流れているあいだ体を揺らしている聾の方が見えて、やってよかったなと思いました。振付もやっているうちに増えていったりして。ある曲の手話の部分なんかはサックスやらドラムやらの動きをつけてバンドみたいになってたんですけど、あれも何か楽器の音があるんじゃないのって聞いてもらえたから出てきた振付なんですよね。あとは曲に合わせてノリノリで踊ったり曲と共に流行ったダンスの振り付けをやったり。控え室で練習してたら出演者さんともそのダンスで盛り上がって踊る人が増えた(笑)。振付だったら聾の人も見たことがあればそれを思い出せるし知らなくても雰囲気は伝わります。自分たちが省かれてないと思えるように音楽を伝えるためには、雰囲気を伝えられるということがすごく大切なんです。
河合 踊りで盛り上がり過ぎてセリフのところに影響しないかな、大丈夫かなって心配でしたけど(笑)。
橋本 でも河合さんも最後は「好きにやりなさい」って言ってくれて。それもすごく心の支えになってたんですよ。舞台で話されているのは出演者さんの人生ですけど、通訳者である自分自身もすごく輝けた気がした。添え物ではなくて一緒に舞台上にいられたと思えました。
廣川 演劇は総合芸術ですよね。俳優だけではなく、音楽、照明、美術、いろいろな要素が入って成り立つものです。手話通訳もそういう要素の一つとして、対等な立場で舞台に存在できればいいなと思っています。
安全にいられる場所〜性について手話で表現するということ
—— 作品のテーマがセックスだと聞いてどう思いましたか。
廣川 個人的にはものすごく大事なテーマだなと思うし、隠すことではない、ちゃんと表現する必要があるいいテーマだなと思いました。一方で、手話通訳者を手配する立場からすると、養成講座を受けたばかりで経験も少ないので、ちょっときついかなとも正直思いました。でもいい機会だと思ってチャレンジすることにしたんです。
河合 セックスがテーマと聞いたときは、正直言うと「無理ー!」と思いました。手話の講習会では性に関する言葉というのは普通は教えないんですね。酒が入る場では、話題として出ることはありますし、もちろん下ネタもあります。ただそれを舞台の上で表現するということになると……。正直言って、聾の俳優がやった方が早いなと思いました。まあでもやってやろうじゃないかと。無理だって断ってしまったらそれで終わってしまいますし、私にも意地がありますから(笑)。
橋本 僕も最初、内容を見たときに「無理でしょ」と思いました。手話というのは視覚言語なので、性的な言葉も動作として見せなきゃいけない。こすったりバックからやられたり、そんな動きする通訳いないですよ(笑)。そんなのできないと思うじゃないですか。
でも、時代は変わってきていて、出演者も含めていろいろな人がいるわけだから、そこから聾の人が外れちゃいけないなと思ったんです。聾の人も見えない人もそういう場には絶対必要で、そういうチャンスをもらえたんだと割り切って参加することにしました。
男性の手話通訳者というのはものすごく少なくて、それは生活できるほどお給料がもらえないからなんですけど、今回はテーマがセックスということだったのでどうしても男性の通訳もいないとわからない部分も出てくる。僕は以前、聾学校で教員をやっていたので、生徒から性に関する相談を受けたりしたこともあったんですけど、今回の体験を通して改めて性に関することをオープンに話す必要性みたいなものを感じました。
廣川 障害者は美しい、純粋だというイメージを抱かれたりすることもありますが、みんなと同じです。お客さんと性体験についてやりとりをする場面で、会場にいる聾者も指名するようにしてもらったのは、障害者も同じようにいろんな経験を持っていて、同じお客さんとしてちゃんとそれを表現してもらった方がいいという気持ちがあったからなんです。
橋本 いろいろな人が安全にいられる場所で、音声ガイドもあって手話もあって英語もある。そういう取り組みが共有できたのはよかったなと思います。
河合 コロナで1年延期しての公演でしたけど、その1年のあいだにもちょっと解放されたような、多様性への意識が変わってきた部分もあると思っていて。そういう意味では今回、このタイミングで上演できたのは結果的にはよかったなと思っています。
手話通訳があたりまえにいる世界へ
—— 今回の通訳を通して得られたものや今後の課題などについて教えてください。
廣川 手話通訳者の立場を確立していくためには場数を踏んでいくことが必要で、そのためには手話通訳に対して主催者の人たち、スタッフの皆さん、出演者さん全員の理解があるということが大切です。そういう意味では今回は本当にいい現場でした。お互い意見を出し合いながらよくしていくという信頼関係が1年かけて作られていったんだと思います。チームのなかでコミュニケーションをたくさんとることができたというのが今回の最大の収穫だったんじゃないでしょうか。
河合 手話通訳者はみんな一生懸命やってくれたんですけど、私としてはそれでもまだ少し指導監修が足りなかったなと思うところもあるんです。手話というのは当然、生活のなかで使う言葉なので、見方にしろ体の動きにしろ覚えなきゃいけないことが山ほどある。それを覚えたうえで通訳をするというのはすごく大変な作業だと思うんですけど、だからこそそういうことをきちんと伝えて積み重ねていくことが重要なんだと改めて思いました。
加藤 私は舞台手話通訳者としてはまだまだだというのは自分でもわかってるんですけど、なんとか気持ちに応えようと今できる精一杯の力で頑張りました。今後、この貴重な経験で得たものを自分の中にちゃんと入れて通訳をやっていきたいです。
今回助かったのは、チームがすごく良かったんですね。橋本さんが通訳チームを引っ張ってくださって、京都でちょっと空いた時間を3人で過ごしたり、出演者さんと積極的にコミュニケーションを取ったり。そうやって生まれてくる信頼関係のなかで舞台は作っていくもんだということも含めて学ばせてもらいました。感謝の気持ちでいっぱいです。
橋本 僕は手話っていいなとか、わからないけどなんか魅力的だなとか、そんな表現なんだとか思ってもらえる場がもっと増えてほしいと思ってるんです。それは演劇だけではなくて、ライブでもスポーツでも、そういう場所に手話通訳がどこにでもいる、そういうふうになって見てもらえる機会が増えるといいなと思ってます。
でも、舞台手話通訳はすごく練習が必要なので、その時間に対する対価が支払わなければ、養成だけしても通訳をやってくれる人がいないという現実もある。英語の通訳と同じだけの対価がもらえれば生活ができますよね。それが実現してほしいというのが僕の願いではあるんですが、そのためにはまず、同じ舞台に通訳が立っても邪魔とか言われないような場がないといけない。その意味では、ダレンさんが今回初めて手話通訳を入れてやってみて、最初は邪魔になるんじゃないかと心配してたけど、最終的には手話通訳者がいることで作品がすごく深まったって言ってくれたことが今回の一番の成果だと思います。通訳者というのはなんでもできるわけではない。だから、それぞれが自分の得意ジャンルを活かせる場が、そこにいることを受け入れてくれる場が増えていくといいなと思ってます。
取材・文:山崎健太
写真:吉本和樹(1)、冨田了平(5,7)